英国の建設需要は強くて元請業者は過受注の状況だが、コロナ禍によるサプライチェーンの閉塞により、木材、鉄、セメントを含む資材価格が高騰する一方、ブレクジット(英国のEU 離脱)による大工、煉瓦工、左官を含む職人不足は、労務賃金の高騰を引き起しているという(参考文献)。その後、ウクライナ情勢の影響も加わりつつある状況は、日本の建設業にも当てはまる点はあるが、その背景には大きな違いがありそうだ。
賃金高騰に関して言えば、日本では設計労務単価を10年間も上げ続ける努力を重ねた。また昨年末も政府は「緊急提言~未来を切り拓く「新しい資本主義」とその起動に向けて」(令和3年11月8日新しい資本主義実現会議)において、賃上げを行う企業から優先的に調達を行う措置が検討され、2月の財務大臣通知で4月1日以降、総合評価落札方式において賃上げを実施する企業に対する加点措置を取ることになった。
これには公共事業に関わる大手建設会社がこぞって3%程度の賃上げ表明に応じる等の動きがあった。しかし、デフレマインドが定着する日本で持続的な賃上げが実現するのか?と疑問視する見方は多い。本稿は建設業全体の賃金水準を長い目で考えてみたい。特に英国との比較を試みるが、他意はなく単にデータの取り易さによる。賃金水準に関して英国が特別という話は筆者には伝わっておらず、以下は主な海外と日本との比較と言い換えてもよさそうに思われる。
産業別の給与データは、日英とも政府レベルで手厚い調査がある。日本は厚生労働省の毎月勤労統計調査、英国は国家統計局ONSが行う月給・給与調査MWSS を使った。
図1 は両国の建設業労働者賃金の月次統計情報を図化したものだ。日本はボーナス月の6月と12月が山になる起伏の激しいラインを描くが、ベースに大きな変化は見られない。一方、英国は総賃金請求額を従業員数で割って求めるボーナス分を含む平均週給を示したが、年々そのレベルは高くなった。図2 はそれらを年収に直した値だ。
2021年の日本6,248,808円に対し、英国は34,883.57£≒5,581,371円である。2000年を基準にすると年収の伸びにはかなりの乖離がある。少なくともこの20年、日本の賃金水準は僅かしか上がらなかった。経済学者の野口悠紀雄氏の近著『日本が先進国から脱落する日』の帯に、「「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称され、世界第2位の経済大国だった時代は、もはや遠い過去。
今や日本は、平均賃金がOECD 諸国の中でも最下位グループという低さ……数年後には韓国に抜かれると見られている」とある。図1、2の推移はこのことを裏付ける。
(注)日本は毎月勤労統計調査(厚生労働省)の現金給与総額(常用労働者5人以上)、英国はAWE:Average WeeklyEarnings(ONS)の建設業Construction Level。ボーナス分を含む季節調整なしの値である(約9,000人の雇用者サンプリングによる月給・給与調査MWSS に基づく。従業員20人以上の企業が対象。速報性を重視する調査)。 https://www.ons.gov.uk/
(注)出典は上図と同じで、年次値を使用。現在の為替レートは1£≒160円。
公的統計では建設技術者の職能別給与のデータは日英とも乏しいので、民間調査に目を向けてみる。英雑誌Building は各職能のレベル別・地域別給与水準を示す記事を定期掲載する。これは人材コンサルティング会社HAYS(ヘイズ)の給与ガイド調査が元になっている。数字を紹介すると、直近1/20号の記事で扱う請負業者調査では、ロンドンの建設現場監督の年間給与額はサイトマネジャー5.6万£で、シニアは7万£、アシスタントは4.3万£、フォアマンは3.7万£、また、請負側QS はシニアが7.5万£、ミドルが6万£、アシスタントが3.9万£となっている(因みにProfessional QS はコンサルタント調査で扱われる)。対前年全国平均伸び率は建設現場監督で2.7~3.3%、QS では1.9~5.9%と高い伸びを示す。この数字は昨年8月時点の全英の求人情報の給与データ22,749件から算出したものと説明されている。
HAYS は日本を含む世界33か国・地域で調査を行うが、日本の建設分野は手薄で残念ながら引用するものがない。そこで他の日本国内の数字を探すと、ビジネス雑誌の独自調査や各社の有価証券報告書の年間平均給与、あるいは政府の民間給与実態統計調査を利用した記事が書かれることがあり、目にしたことがある読者は多いに違いない。この他、噂レベルではいろいろとあって、バブル経済期のスーパーゼネコン部長クラスの年収は2,500万円超という羨ましい話をかつて聞いた記憶がある。最近ではどうだろうか。
企業経営の中で賃金にどれだけ重点を置いたかをみる指標に労働分配率がある。生み出した付加価値のうち、労働者にどれだけ還元されているかを示す数値である。益金の社内留保が過大だから給与に回せ、という議論の中でこれがよく使われる。財務省の法人企業統計から労働分配率を計算したのが図3 である。GDP の概念になぞり付加価値をこの統計の営業利益+人件費+減価償却費と捉え、それを分母にし、人件費を分子にして計算した比率が労働分配率(%)である。
法人企業統計では産業別、資本金階層別に数値が明らかなので、建設業経営の規模による違いが分かり便利だ。図3の赤い線は建設業全規模の労働分配率で、1953年~2021年の推移を描く。建設業は60年代高度成長期、80年代後半のバブル期、そして2010年代半ば以降に好景気に沸いたが、この時期には分母の付加価値が増えた分、人件費が分子の労働分配率は低い位置にある。景気と逆相関する現象があるのは経済学者も指摘するところである。建設業の水準は製造業や全産業より10ポイントほど高い位置に常にあるが、これは建設業が労働集約的な産業であることの裏付けのようにも思える。
また、資本金階層別にみると10億円以上の大企業は一番下側の黒破線で、薄灰色の小企業ほど上側に振れる。参考に、英国の統計から最近の同じ指標(labour share)を取ったが、日本と比べてかなり低いポジションにある。リーマンショック(2008年)やコロナショック(2020年)を敏感に拾う様子が垣間みえる。英国建設業の数値は英国全産業のやや上側だがほぼ同水準で、日本とは異なる。
(注)財務省「法人企業統計」より筆者作成。人件費計を分子、
付加価値=営業利益+人件費計+減価償却を分母に計算し
た割合。英国は前出ONS のMWSS のLabour Share の値を
とった。何れも月次値から12か月移動平均値を求め描いた。
参考文献
南雲要輔「英国のハイテク建築は伝統の上に:海外事情〔15〕」
建築コスト研究No.116、2022.4、pp.61-66
(https://www.ribc.or.jp/info/info3_4.html)
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