建設物価調査会

【建設時評】文芸のなかの建設と功徳

【建設時評】文芸のなかの建設と功徳

早稲田大学理工学研究所 招聘研究員
一般社団法人全国土木施工管理技士会連合会
顧問 小林康昭

 「功徳」とは、人々に幸せを施す善行を指す仏教語である。対になる仏教語に「ご利益」がある。ご利益は仏様から授かるお恵みである。建設の仕事は人々に幸せをもたらす善行だが、特に異邦の人々に建設の力で功徳を施した人物に光を当ててみよう。


 


 その聖人の如き人物に、中村哲(1946:昭和21年―2019:令和元年)を挙げる。中村哲「天、共に在り」(NHK 出版2013年)で、自身の生き様を顧みている。
 彼は福岡市の人で、1973(昭和48)年に九州大学医学部を出て医師になった。国内病院勤務ののち、日本キリスト教海外医療協力会から派遣されて、1984年、パキスタン北西辺境州都のペシャワールに赴任。以来、ハンセン病を中心とする医療活動に従事する。

 “ハンセン病の診療は、1982年、現地に下見に行ったときに、現地のドイツ人医師から協力を懇請(こんせい)” されたことが機縁だった。患者は“パキスタン全土で約2万名。ハンセン病専門医は3名のみという状態だった。”
 1984年、現地の“ペシャワールの病院に赴任すると、病院長に「ハンセン病等担当」を申し出た。患者2,400名に病床数16。診療所とは名ばかりで、まさに「包帯まきの安宿」のような状態だった。”





 “赴任をきっかけに、1983年9月、基金団体のペシャワール会が発足した。” “同好会的な集まりから、事業が拡大するにつれて、現地活動を支える組織へと成長し、会員は公称1万5千人、実質募金者は年間2万人以上を数える。
 専従が3名。20数名のボランティアだけで、数億円の募金活動と事務処理を行っている。”

 “特定の宗教や政治的な立場にこだわらず、会員の層はさまざまである。学生、主婦、教師、公務員、医療・土木関係者などから、労組員から会社経営者まで、「保守」も「革新」もいる。会員はもちろんのこと、事務局有志の渾身的な働きがなくては、現地事業が成り立たない。” “彼らの地道な作業を黙々とこなす様は、この活動を心の拠り所にしていることがわかる。”





 “赴任した1984年、国境の町ペシャワールのすぐ向こう側では内戦が展開していた。アフガン戦争である。” 1985年までに、パキスタンに270万人、イランに150万人もの難民の発生である。“我々もこの動きに呑みこまれていった。1986年、難民キャンプで医療活動を始めることになった。”

 “2000年春、中央アジア全体が未曽有の旱魃(かんばつ)にさらされた。アフガニスタンの被害が最も強烈で、農地の砂漠化が進んで食糧生産が落ち込み、400万人が飢餓線上、100万人が餓死線上にあった。”

 “診療所に、死にかけた幼児を抱いた若い母親の姿が、増えてきた。旱魃の犠牲者の多くは、幼児だった。「餓死」とは、空腹で死ぬのではない。食べ物不足で栄養失調になり、抵抗力が落ちた体で、汚水を口にして下痢を起こして腸管感染症にかかり、簡単に落命するのである。”





 “「 治療どころではない」と、診療所が率先して清潔な飲料水獲得に乗り出した。実際、十分な食糧、清潔な飲料水さえあれば、病気のほとんどは防げるものだった。村人を集め、深い井戸を掘る作業が始められた。”
 “だが、飲料水があるだけでは生活はできない。農業ができないのは致命的である。元来のアフガン農村の回復こそ、健康と平和の基礎だと唱えて、砂漠化した田畑を回復するために灌漑用水を得ることが、大きな目標になった。”

 “伝統的な灌漑用水路の復旧が手掛けられて、診療所周辺の砂漠化した田畑がよみがえった。その結果、約100家族が帰農する奇跡が起きた。直径5㍍以上の灌漑用井戸を手掛け、さらに緑化を進めた。帰農する村人がさらに増えた。”

 しかし“旱魃に対する国際救援が動く気配はなかった。” “旱魃は少しもおさまらなかった。飲料水に利用できる水源(主に井戸)が1,000か所を突破、最終的に2006年までに1,600か所を確保して、20万人以上の難民化を防いだが、他の地域では、進行する砂漠化に比例して、難民となって流出する者が絶えなかった。”

 2010年、水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できる 「“ 農村の回復なくしてアフガニスタンの再生なし」を確信して、試験農場、飲料水現事業、灌漑用水事業から成る計画の骨子を固めた。”




 だが、宣言するに相応しい力量があったとは言えない。“流量計算や流路設計さえ理解できず、土木の知識を習得するために、高校の教科書で数学を再学習し、河川工学の大学教授や技術者に教えを乞い、コンクリートの打設や鉄筋組みのイロハも習った。”

 “現地はもちろん、帰国した際は、暇さえあれば、水利施設を見て歩いた。福岡県の筑後川、矢部川、熊本県の菊池川、緑川、球磨川沿いを散策した。昔の人はどうやって、自然の河川から水を取り込み、どうやって水路を作り、多くの開墾地を拓いたのか。身近のところから見てまわった。アフガニスタンにも多くの用水路や取水口があって、人々がこれを利用して暮らしているのだから、こちらのほうも参考にした。しかし、現地は取れるところから取りつくし、なお、旱魃にあえいでいる。現地に新たな工夫を加えなければ、見通しが立たないはずだ。”





 “アフガンと日本、河川を見る限り、類似点もある。” “福岡県朝倉市に、明治前に作られた山田堰という取水口がある。地図を見ると地形が非常に似ている場所があった。この山田堰の見事な機能を理解できるようになって、苦労を重ねた結果、現地に適した技術となって導入され、ジャララバードの穀倉地帯復活に重要な役割を果たすことになった。”

 “用水路には蛇籠(ふとん籠)工が採用された。現地で施工する立場から見ると、コンクリート掩蔽(えんぺい)よりも技術的に遥かに易しく、維持補修も容易である。” “柳枝工を採用して、柳を背面に多数植えると無数の毛根が石の隙間に入り、生きた籠となって更に強靭となる。” “ジャララバード北部3郡、1万6,500町歩(約1万6,500㌶)の耕地の復活を目指して、65万人の農民の生活安定を保証すべく、一大穀倉地帯が復活しつつある。”

 “一方、日本側では、ペシャワール会が血のにじむ努力で年間3億円の募金を集め続けていた。” “山田堰と出会って以来、描いてきた夢は、今、現実化しつつあるのだ。”





 パキスタンとアフガニスタンで長く活動していたが、パキスタン国内では、政府の圧力で、活動が困難になった。“2009年、ペシャワールの動乱で活動拠点をアフガン東部のジャララバードに移したが、「ペシャワール会」の名称は変えずに、現在に至っている。”

 澤地久枝他「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」(岩波現代文庫2021年)に、中村は“小柄な、柔らかい物腰、静かな声でゆっくりと話す人であった。” とある。その彼が、“土木工学の勉強をされ、設計図も引き、驚いたことに、自ら水路で重機を操作して水を通したけれども、同時にその機械を買うお金も、労働する現地の人たちへの支払いも、自分で走り回って集めて” いたのだ。

 それを受けて、中村自身は“講演することで、募金もずいぶん増えた” と言っている。
 2016年、現地の住民が自分で用水路を作れるように学校の設置を試み、住民の要望でモスク(回教の礼拝堂)やマドラサ(回教の学校)を建設した。





 2019年12月8日、ジャララバードを車で移動中、パキスタン・タリバン運動の武装勢力に銃撃された。負傷後、現地の病院に搬送された際には意識があったが、さらなる治療のためにアメリカ空軍基地へ搬送される途中で絶命した。死去に伴い、日本政府は旭日小授章を追贈した。
 その位階勲等はともかく、彼は、アフリカで密林の聖者と謳われたシュバイツァー(ノーベル平和賞受賞)を凌ぐ聖人だった。



建設物価2023年1月号

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