建設物価調査会

【建設時評】線形設計

【建設時評】線形設計

 

東北大学 災害科学国際研究所
准教授 平野勝也

 道路の美しさは線形設計で決まる。ずいぶん前の話で恐縮だが、2010年9月号の小欄で「傍若無人」として書いた話である。美しい道路とは、美しい風景が見られる道路、美しい沿道が際立つ道路など、道路そのものが美しいわけではないという不思議な設計対象である。つまり、道ゆく人や車にどんな美しい風景を見せるのか、それが道路の美的設計の全てであり、それは線形設計で決まるのである。

 しかしながら、どんな風景を見せるのかといった、東名・名神や日光宇都宮道路で培われた線形設計の最高水準の技術は、それらをピークに尻すぼみしてしまっており、世には線形設計を工夫しない「傍若無人」な道路で、言い換えれば、線形設計の下手さを構造物という金で解決した道路で溢れかえっている。

 例えば、ダムの付け替え道路で、切土盛土を多用して設計速度40km/hにもかかわらず事実上設計80km/hはあろうかというほどに線形を良くした結果、終点で旧道との接続で当然急激に線形が悪くなり事故を誘発しかねない設計。

丘陵を回避した結果、線形が悪い道路の局所改良で、直接丘陵を越える線形が設定されていたのだが、そこに登る勾配を適切に設計しなかったために、枝道との取り付けが素直にできず立体交差してから交差点を作りなおす設計。

トンネルを出て、少し線形を振れば片側切土、片側盛土となって、海への眺望がよくなるばかりではなく、土工事も楽になるのに、わざわざ尾根筋にセンターを置いて、盛大な両側切土としている設計と枚挙に暇がない。

 蛇足だが、最後の例はさらに、都市計画決定まで行っていて線形の変更もやりづらい状況にさえなっている。筆者が道路事業に直接携わっていた30年前であれば、トンネルや構造物が多く出てくる山間地においては、地質調査などの結果を受けて柔軟に線形変更ができるように、たとえ都市計画区域内であっても、道路法だけで道路事業を行っていた。

都市計画決定を行って道路を作るのは、いつ事業化されるかわからない長期の間にそこに道路が作りにくくなることを避けるために行う法定手続きであり、すでに事業化されている段階の道路であれば、都市計画決定を打つ行政手続きは行政内部の人件費の浪費でしかない上に、諸条件から線形変更することもやりづらくなる。

当然ながら道路法に基づく道路においても土地収用法は適用可能であり、都市計画区域内だからといって都市計画部局のくだらない「メンツ」のために都市計画決定を行うことは良い道路を作る障害でしかない。もちろん、全てについて修正の提案を行ってきたが図面の書き直しや変更手続きが障害になり、なかなかうまくいかないというのが実感である。  

 話を戻そう。直接関わっている例でなくとも、「もう少しこっちに振れば、こんな盛大な両側切土は必要ない」とか、「もう少し縦断頑張っておけばこんな盛大な橋梁は必要ない」と言った道路には多く出くわす。 特に新しい道路ほどその傾向が強いと思うのは、先入観のなせる技だろうか。いずれにせよ、美しい道路のために線形設計は必須なのであるが、現実はかなり難しい状況にある。

 技術水準の低さによって出現する「傍若無人」な道路は、当然ながら法面安定工法や擁壁などの構造物が出現しがちである。 美しい道路景観という意味においても大きな問題であるが、そうした「傍若無人」な道路は維持管理費の上でも「傍若無人」なのである。 橋梁の規模も、トンネルの延長も、擁壁や法面といった構造物の規模も線形設計が全て決めていると言って過言ではない。 人口減少の時代である現代において、新しく作られる道路は、それによって多くの道路を廃道にできるような路線や、コンパクト&ネットワークを確実なものにする路線などに限られてくるはずだ。

当然ながら維持管理費用に対してはかなりシビアに考える必要がある。そういう時代において、線形設計が下手なために、構造物や管理法面を増大させ、維持管理費を増やすというのは、美しい道路などと言い出すまでもなく、もっと初歩的なレベルで害悪なのである。

 いわゆる二次改築くらいまでの道路を走って実感するのは、構造物が小さくなるよう、土工量が小さくなるよう、見える風景は考えないまでも、思慮深く設計されているように思えることである。 2010年9月号の小欄「傍若無人」で紹介した通り、東北自動車道の白石IC―泉IC 間は中山間部の複雑で難しい地形であるにもかかわらず、恐ろしいまでに法面や構造物がない神業ではないかと思える線形が引かれている。この区間は1973~1975(昭和48~50)年に共用された区間であり、その頃までは、確かな技術がかなり広汎に存在していたということなのだろう。

それが、頑張れば頑張るほど損をする土木業界の入札契約制度の問題、道路利便性を高めるために線形至上主義に陥ったバブル期の名残など、あっという間に失われてしまった理由はいくつも思いつく。

しかし、一度失われた技術を業界全体として取り戻すことは、簡単ではない。だからと言って、そこで諦めては、道路という社会基盤施設は将来に向けて、維持管理費によって財政を圧迫するだけの負の遺産になっていくだけなのである。

 土木学会の調査に混ぜてもらい、能登を回ってきた。半島における道路の脆弱性がいかに応急対応さえも遅らせるのか、目の当たりにしてきた。直感的な印象にすぎないのだが、地山そのものが崩壊してしまったような箇所を除けば、道路が通行できなくなっている箇所は沢を跨ぐ高盛土の区間が非常に目立った。盛土が高い分だけ、仮復旧にも時間を要しそうである。

考えてみれば、東日本大震災においても、国道45号の応急復旧に時間を要したのは橋梁が流されてしまった箇所や、高盛土が丸々流されてしまった箇所であった。元々の地面から離れ、地形的に無理して作った道路は、地震や津波に壊されやすく、復旧にも時間がかかるのだ。つまりは脆弱性が高く、そして強靭性も低いという、災害が多発する日本においては、問題の大きい道路になるということである。

 一方で、上手に地形を利用しながら地面に沿っている古くからの道路は、地割れ箇所などを砂利やアスファルトで埋めて簡単に復旧されていた印象がある。 地震や津波だけではない。大雨や河川氾濫そして土砂災害は激甚化が言われている。そうした災害全てに対して、道路は脆弱性が低く、強靭性が高いものでなければならない。 能登半島における苦闘が明らかにそれを物語っている。

道路ネットワークのリダンダンシー(冗長性)などと言う前に、まずは一つ一つの道路をもっと災害に強くできるのである。

 地形を読み切り、なるべく地山に沿った線形を引くという道路設計の基本技術を取り戻さなければならない。 景観も維持管理費も、災害に対する脆弱性も強靭性も全てそれで決まるからである。その技術がない人間は、今後いっさい道路設計をしてほしくないと正直そう思う。確かに立体的な思考が必要でその技術の習得は簡単ではないことは理解している。

しかし、技術がないのであれば、AI など活用してでも良い。 徹底的に地形に沿った、無理をしない道路線形としなければ、「傍若無人」な景観、増大する構造物の維持管理費、災害にも弱いというどうしようもない道路にしかならないのである。

 もはや、「道路をつくれば、地元が大喜び」という昭和の呪縛からは離れなければならない。道路に求められるものは、人口減少の中で財政が厳しくなる中で、はるかに高度化しているのである。 その舵取りを失敗すれば、道路は未来への重荷へと成り下がってしまうことに意識を転換しなければならない。


建設物価2024年5月号

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