建設事業には補償がつきものである。城山三郎の作品に、ダム建設に関わる補償を扱った「黄金峡」(講談社文庫)がある。
“東京から急行で4時間。郡山で磐越線に乗り換えて会津若松まで2時間。急行バスで物見村戸倉まで更に4時間。”
作品にはモデルがある。物見川は只見川。ダムサイトの物見村戸倉は只見村田子倉。ダム建設事業主の日本発電公社は電源開発株式会社(現:Jパワー社)である。
戸倉ダムは、重力式コンクリート・ダム。堤頂長477メートル、堤高145メートル、そして、湛水面積、総貯水量、建設費、最大出力、年間発生電力など、田子倉ダムそのものである。
補償の噂をきいて、戸倉から若松や東京に出て行った者が、実家に帰ってくるという。
“半鐘が乱打された。”“寄合で申し合わせしてあった氏神宮の境内は、いっぱいの人であった。”
“ジープから降り立った男は、ダム建設所長、と名乗り「代表の方とお話ししたいが」と呼びかけた。”
“「代表は無えだ」
「けえれ」
「話すことは無え」
「困りましたなあ。あんたがたは絶対反対と云われるが、我々は絶対に作らにゃならん」
「私どもは日本中探し廻って、ここにたどりついたのです。あくまで話し合いを拒まれるなら、土地収用法という法律で無理にでもお移り頂くより仕方がない」”
“「ばかにすッな」
「ンだども、立ちぬくかや」”
“「話し合いするということは不満をぶちまけて下さればいいんだ。黙って居られれば私たちには分からん」”
“日をあらためて戸倉全体が話し合いに出る。
代表は選ばない。このようにまとまるまで”“一時間待たされたが「また来るから頼みますよ」とジープの窓から手を振って戸倉を後にした。”
“話し合いは三回持たれたが、発電公社側が喋るだけで、「絶対反対」「ンだ、ンだ」のくり返しだった。”“「絶対反対されるは結構。どれだけあれば我慢できるかどれほど真剣に反対なのか、金に直して貰うと分かるんだが」”
“「いくらだって?」
「一億円!」
「すると、一戸あたりは幾らに」
「一戸あたりで一億円だし」
「ンだ、一億円だ」”
“「一億円けれ」”
“「あんたら、一億円必要という根拠を教えて下さらんか」”
“みな視線を逸らせていく。”
“「税金で集めた国の金を取り次ぐ以上、その口上をきかせて下さらんか」”
“「木伐るだけで食って行ける」
「田に肥しばいらん」
「一反で3俵とれるし」
「4俵だば」
「5俵のことあっただ」”
“「お気持ちは分かったが、根拠がまちまちでいずれ調べに上がりたいが」”
“「早く現ナマを突きつけるんですよ。それで、パッと勝負ありだ」”結局は金でかたづくが、今は金の問題じゃない。
“「絶対反対」や「代表者を出さない」というのは、住民たちにとって生活を守ることだった。”一族はそのための掟をこしらえていた。何ごとについても総寄合がもたれたのだ。
“雪に埋もれた温泉町東山では、前夜の酔いがまだ体のどこかに残っていた。胴巻きには、「交通費および日当」として発電公社から各人一律に渡した二万円の札束がある。二万円まるまる自分の小遣い同然に懐に容れたのは、戸倉の住民に共通した初経験だった。”
“それは金を使うことを知らぬ、金に苦しめられたことのない生活だった。金銭に対して高い壁を築き、その壁を超えると金銭は非力な数字に変わってしまうように見えた”。
“その夜の宴席で、戸倉の住民たちを前に「佐久間ダムで補償問題がうまく片づいたのは現地で反対を唱えるものがほとんどいなかったこと、とりまとめに動く人が出てくれたことだった。戸倉ではみんなが絶対反対だが、ブローカーも顔役もいないのは貴重だ」”
“「あくまで正々堂々と話し合いがしたいが、いつまでも話が進まないなら、いつかはこういう連中が顔を出してくる。そうなると、皆さんに差し上げたい金が、そちらに流れて行ってしまう」”
“「『絶対反対』とか『動くなら一億円よこせ』と云われる。『根拠があるならその根拠を示して』と申したが、今日まで返事は頂けなかった。根拠のない要求をされるなら、こちらも勝手な補償を提示して、あとは法律の力で強制的にお移り願うこともできる」”
“「佐久間では、目先のきく人が大正末期に佐久間界隈の岩山をタダ同然で買っておいて、いつかはダムが出来るだろうと待っていた。三十年待ったとき、ダムの話が起きた。待ちに待ったのだから、途方もない値を吹っかけて要求するだけで、話し合いに応じない。とうとう土地収用法が発動され、ただの岩山として全く安い値段でとり上げられてしまった。収用法の発動をきいて、その男は泣いて頼み込んできたが、どうにもならない。三十年辛抱していたのに、補償を逃してしまった。その人は、人生を無駄にしたかも知れんね」”
“「話し合いする以上は、わしらの作った資料について考えて下さらんか」
用意されたプリントが配られた。”“ダムの噂が出てから疑心暗鬼だったものが、今、初めて形を現わしてきた。
田一反 225,000円、畑一反 180,000円、以下、山林、宅地、住宅、土蔵、庭石、立木、動産移転費、移転旅費、墓移転費、墓改葬費など。”
“「この値で、発電公社さ買い上げるというものだべ」
「いや、買うわけではないんです。ただそこにあるから金をお払いするのです。売って下さって構いません」
「せば、おらたちは、二重に金が入るだが」
「結構です。住宅や土蔵も持って行って建て直されて構いません。庭石も庭木もそこにあるだけで、補償するんですから」”“住民たちの目は輝きだす。”
“発電公社が示した一反225,000円の根拠は、一反から上がる年収穫が28,400円、これから肥料費などを差し引くと14,500円が純収入。この純収入を毎年住民たちの手元に入るようにしたい。確実に毎年手に入るには、元金225,000円あれば、これを信託に預けておけば、年9%の利率で田を耕さなくても耕したのと同じ金額が入ってくるわけである。”
“ゴールド・ラッシュが始まった。補償金の支払いが始まると、行商人の群れが戸倉になだれ込んだ。仙台・東京などからもやってきた。”“「電気洗濯機を買ったのだな」「便利なものは、金が入れば早速というわけで」”
“「あれを見なよ」家の庭先を指した。「川原から持っていた石だ。庭に置いてありゃ補償金になる。一貫目20円」”“「こんなゴールド・ラッシュは滅多にないからな」”
“住民たちは要求を出していたが、補償費と売却費と二重に儲ける後ろめたさもあって、その要求を固執できなかった。”適当なところで妥協して、補償契約を締結してしまった。
“引っ越しが始まった。行商の車と入れ替わって、トラックが峠を上ってくる。”“家財道具が運ばれると、家の解体にかかった。”
“千万から千五百の補償金を受け取りながら、高利につられて踏み倒されたり、怪しげな事業に投資して横領されたり、旅館・飲食店・金貸しなど、利の早い仕事に関わった者は、ほとんど失敗していた。”
“トヨペットが納屋の前に置かれ、空になっていた馬小屋に、目の覚めるような大型の外国車が収まっていた。”“「どうだね。クライスラーの54年型だ。320万円した」”
“クライスラーは峠の道にかかっていた。吹雪は激しく、フロント窓は曇っていた。下り勾配にブレーキを切った。前輪の乗った石が崩れた。次の瞬間、車は宙に浮き、川床めがけて落ちて行った。”“翌朝、一面の銀世界のはるか眼下に、クライスラーが車輪を宙に見せ、雪に埋まっていた。乗っていた五人の死が知らされた。”
“「欲深だから罰さ当たっただ」
「ンだども、欲深にならねえ方がおかしいどもな」”
昭和31年当時の1 千万円は、 現在では3億1千万円に換算できるそうだ。これだけの金の使い方を知らない村人たちが手にしたら、狂わない方がおかしい。
金におぼれた村人たちは、幸せになったのだろうか。

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