建設物価調査会

【建設時評】文芸に見る建設と最低制限価格制度

【建設時評】文芸に見る建設と最低制限価格制度


一般社団法人全国土木施工管理技士会連合会
顧問 小林 康昭

 公共事業の工事では最低価格自動落札方式、略して自動落札方式で請負業者を決めるのが鉄則で、予定価格を超えない最低入札価格の会社が自動的に落札する規則だった。

 その後、入札制度に最低制限価格制度が設けられて、単に安ければ良いとして無条件で受け入れることに歯止めがかかった。

最低制限価格制度とは「工事や製造などの請負契約でその契約内容に適合した履行に必要がある場合にあらかじめ最低制限価格を設けたうえで、予定価格以下の価格でかつ最低制限価格以上の価格で申し込んだ者のうち最低の価格で申し込んだ者を落札者とする」制度である。

1960年代、当時の自治省が各自治体に向けて通達を出し、地方自治法が改定され普及が進むきっかけとなった。


 小説の世界でこの最低制限価格制度をいち早く取り上げた作品がある。石川達三「金環蝕」(1966)である。

 主人公は“政権与党の総裁選で多額の借金を抱えていた総理大臣の金策の重荷を背負っていた官房長官だった。”彼は“大きな土建会社から、合計4億乃至5億の政治献金を貰おうと考えたようであった。

”目を付けたのは電力開発公社による“九州のF―川に巨大なロックフィル・ダムを建設し、二つの発電所を造って、三十万キロの電力を北九州一帯に供給しようという”計画だった。

 “官房長官の使いという男が秘書に案内されて総裁室に入ってきた。

彼が差し出した名刺には内閣秘書官とあった。”秘書官は、白い封筒を取り出し、封筒の中から便箋を抜き出して切り口上で言った。“「長官が申されるには、現在電力開発公社で計画進行中の九州F―川の事業は、ぜひとも竹田建設に請け負わせるよう、何分のご配慮をお願いしたい。長官からのご伝言は以上であります」”

 “公社の会議室で役員会が開かれた。

F-川のダム工事に関して指名願いが出されている土建業者十一社の中から資力、技術、資材、その他の条件を比較検討して五社を指名するための会議であった。”

“指名決定については担当理事が検討し、印刷物にして提出されていた。記されている指名業者は、竹田建設、深川組、大岡建設、青山組、高田建設の五社となっていた。役員会は一時間半で終わった。

翌日、指名五社に通達した。”

 “指名した五社を集めてダム計画の概要、契約条件の大綱、見積上の注意事項などを説明しなくてはならない。”“机上説明会を開いて一週間後の二日間を現地説明に充てる。”

 “現地説明から後、極秘の作業が始まる。”

“公社では水力建設部を中心の作業班を結成し、外部との接触を完全に絶った所に全員を隔離する。隔離された作業班は設計や施工の計画に従って、予定金額を算出する。これが大変な作業だった。およそ七日間で算出された予定金額はその場で封印され、入札書類を開封する日まで公社の大金庫に保管する。事前に土建業者に絶対に漏れてはならない。業者側の入札書類の提出も公社が予定金額を封印した日の同時刻と定められた。”


 この大工事を取ってしまおうという画策が進められたが、正規の手続きとして、入札という関門があるはずだ。その関門をどうやって乗り越えるつもりか。

 “業者で熱意を持っているのは、竹田建設と青山組だけだった。

その他の三社はあきらめていた。「F-川は竹田だよ。ばたばたしたって始まらないね」彼らはそう陰口を叩いた。竹田建設を巡る政治献金の噂は、業界では知らない者はいなかった。”“現地説明の会は、まるで竹田建設のための説明会になってしまったようだった。”“状況は次第に竹田に有利に動いているようだった。”


 “今回の入札は、公平らしき条件を整えておきながら表向きは立派に竹田建設に落札させなくてはならない。竹田建設はそれを見返りにして四億乃至五億を政治献金することになっている。

竹田は一番安い金額で入札しておきながら、さらにそれより四億乃至五億安く工事を完成させるという矛盾した条件が課せられていた。その矛盾をどう切り抜けるか。”“公社の役員会は協議を重ねた。何種類かの入札方法から前例を参考に一つの方法を採用することに決定した。”


 “信州の山奥の小さな温泉宿に、特別作業班十数名がこもっていた。”

“特別作業班の予定金額は、すべて大幅に計算されていた。石材やセメント、鋼材の量も価額も、みな充分に見積もられていた。台風による工事の遅れや被害の程度も大きく計算されていた。”“工事発注者の常識は少額に見積もるのだが、今回は特に水増しと思われるほどに見積額が多くなっていた。それは、作業班を指導している担当理事の指示によるもので、それが総裁や副総裁の指示を受けているのは当然であった。”“何のために予定金額を高く見積もるか。


・・・それは竹田建設に落札された後で、竹田建設が五億円にのぼる政治献金をしなくてはならないからだった。その五億円は前もって工事費に含ませておかなくてはならない。

要するに必要額よりも五億高く竹田建設に落札させなくてはならないのだ。その五億は公社の手を経て竹田建設に渡り、竹田から政治献金される。国の財産で総理大臣の借金の穴埋めをするわけにはいかないから、複雑な経路を辿らせ、幾つかの術策を用いて目的を果たそうとしているのだった。”


 “予定金額を水増しさせて正当な予定金額よりも五億円上回る金額を計上したのは仕事の第一歩であった。仕事の第二歩は、どうやって竹田建設に落札させるかということであった。

そのからくりが、最低金額、ローア・リミットの設定であった。”仕事を終えた“特別作業班は算出した予定金額を厳封して東京に持ち帰る。それより前に指名五社の入札を締め切る。入札書類は封書に入れられており、封書には入札価格を封入しておくことになっていた。

そして同時刻に公社役員会はローア・リミットを決定する。”


 “午後一時半、公社の大会議室で、入札五社の開札が行われた。”

“総裁以下の役員の全員が参列し、五社の代表も列席していた。”担当理事が“五社の厳封された入札書類を総裁の前に差し出した。”“総裁は「では、副総裁に開封して貰います」と言った。

副総裁は無表情に封を切り、封の中の五つの封書を落ちついた手つきで一つ一つ封を開き、声をやや高くして言った。「それではただ今から指名五社の入札価額を発表します。深川組―三十九億六千六百万円。青山組―四十億八千八百万円。大岡建設―三十八億九千二百万円。竹田建設―四十五億二千七百万円。高田建設―三十九億五千百万円。以上です」

 どよめきが起きた。

竹田建設が飛びぬけて高い。”“副総裁はもう一つの封を開いた。特別作業班が山奥にこもって作成した公社側の予定金額であった。”

“「次に当公社が作成した予定金額を発表します。総額四十八億一千万円…」”“副総裁は続けて言った。

「以上のとおりですが、当公社は去る入札の日に予定金額に対するローア・リミットを七%としました。依って予定金額から七%を引いて、四十四億七千三百三十万円をもって入札の最低価額とします。深川組、青山組、大岡建設、高田建設の各社は、ローア・リミット以下で失格となります。竹田建設一社だけが当公社が決めた四十四億七千三百三十万円を超えております。以上のようなわけで竹田建設に請け負って頂く事が決定しました」”

 “あちこちから、低い笑い声が聞こえた。嘲笑のような笑い方だった。”

“「本日の開札は以上をもって終了しました。皆さんご苦労様でした」と副総裁が大きな声で言った。”

 “五社の人たちは複雑な表情を見せて立ち上がった。

青山組の金丸常務は、竹田建設の秋山取締役の背を軽くポンと叩いて、無言で会議室を出て行った。
(やったな・・・)という意味が”込められているようだった。

 一人だけ残った秋山取締役は、総裁の部屋に挨拶に行った。


 管見の限り、最低制限価格制度が描かれている唯一の作品である。

醜聞の具に悪用されている点で不本意なのだが、それを承知の上で敢えて引用したものである。


建設物価2026年4月号

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