建設物価調査会

【建設時評】臆 病 者

【建設時評】臆 病 者

東北大学 災害科学国際研究所
准教授 平野勝也

 「公共事業のプロジェクト評価には財務分析と経済分析がある」。もう30年ほど前のことであるが、筆者が学生時代、研究室の先輩であった故・上田孝行先生(当時、土木計画学を専門とする博士課程の学生)から、教えていただいた話である。

筆者が土木の中で景観・デザインを専門としておきながら、土木計画学や経済学の内容をなんとなく理解している気になっているのは、毎日研究室で展開されていた「雑談」という名の上田塾があったからに他ならない。「国土のあるべき姿」から「下品な話」まで、ありとあらゆることが議論の俎そ上じょうに載った。

 さて、財務分析は、そのプロジェクトを実施するにあたり、お金の出入りを将来にわたって予測分析し、資金繰りがうまくいくか(投資の収益性)を確かめるものであり、平たく言えば、そのプロジェクトが黒字運営できるかを事前に確認するものである。一方、経済分析は社会にとって有益だが、簡単に「お金」にはならない効果(便益)を含めて、社会にとってプラスになるかを確認する、いわゆる費用便益分析である。

 故・森杉壽芳先生のご尽力により日本の公共事業において、費用便益分析(経済分析)が行われることが一般的になったが、実は財務分析は滅多に行われない。理由は簡単で、財務分析でそれなりに黒字が確保できることが確認できるのであれば、それは公共事業ではなく民間事業として実施すれば良いからであり、そうした事業に公共が率先して投資するのは民業圧迫でさえある。

公共の公共たる所以は、そのプロジェクトが明確な金銭的利益を生まないがために民間投資は起こらないが、社会の利益となる事業を実施することにある。裏を返せば、財務分析をやったとして、そのプロジェクトが赤字になるのは当たり前で、それが公共事業の大前提なのである。例えば、無料の一般道路や河川堤防からは、そもそも収入がない。その一方で、建設費と維持費の支出があるのだから、計算するまでもなく、財務分析は赤字まっしぐらである。もちろん、その道路や河川堤防によって間接的に生産性が担保されたり向上したりすることによって、固定資産税や法人税・住民税収入が上昇するといったことが起こっているのは事実だが、その道路や河川堤防のみの貢献分としての税収増はいくらなのか推計するのは極めて難しいため財務分析の俎上に載ることはまずない。

時代が昭和であれば、財務分析が赤字の公共事業を推進することに、なんら問題はなかった。費用便益分析(経済分析)によって社会にプラスになることが確認できているならば、資金繰りは、最悪建設国債を発行して将来に負担を転嫁すれば良いからである。その公共事業の便益を享受するのは将来世代もまた同じであり、社会にとってプラスとなる事業は実施すべきで、確実にトータルではプラスになるからだ。

 しかし、令和の時代になり、人口減少を念頭に置くとさまざまな懸念が生じる。現状の各種公共事業の費用便益分析マニュアルでは、人口分布、交通量、土地利用といった便益の源となる諸元は現時点での固定である。将来、人口も交通量も減少し、土地利用も未利用地が増えて行くことを考えると、現状の費用便益分析において、道路や河川堤防の便益は過大推計になることが確実であり、費用便益分析結果の信頼性はかなり低いといって良い(もちろん現時点でも無駄と断言できる事業をスクリーニングする効果はあるのだが)。さらに、建設費を建設国債として将来に転嫁した結果、もはやそこには誰も住んでおらず整備効果がないのに償還だけが続く「負の遺産」となることも十分に考えられる時代なのである。

 やや話が逸れるが、某所の地域高規格道路に関する費用便益分析を確認する機会が随分前にあり、大変驚いたことを思い出す。その地域高規格道路の交通量予測は、周辺の現道交通量が軒並みゼロになって、全ての交通が地域高規格道路を通るという驚愕の内容であった。そして、その時間短縮便益が整備効果として計上されていた。計算上交通量ゼロとなった現道を廃止できるのであれば問題ないが、そんなことはできるはずもない。もちろん費用便益分析としては間違いではないのだが、現道の交通量がゼロになるような道路計画が賢明な計画であるとはもちろん言い難いだろう。そして現道の交通量をゼロにして計算上かき集めた地域高規格道路の交通量も、人口減少に伴い減っていくのである。

 話を元に戻そう。建設費を度外視して、維持費だけを考えても、既に社会基盤施設の維持水準は大きく低下しているのが実情ではないだろうか。20年ほど前であれば、直轄国道の舗装水準は流石の直轄国道と思える水準にあったが、今やクラックや轍掘れが当たり前の状況である。河川堤防も、越流していないのにも関わらず決壊する事例も生じている。これは、維持管理費の不足により、吸い出しなどで生まれた堤体内部の空洞を発見できなかったためと思われる。すでにこのような維持管理費不足の状態で、維持管理費の増大を招く社会基盤施設の新設・増強は、財政を圧迫する「負の遺産」になりかねない。

もし、先述の「極めて難しい推計」を実施できたとして、その社会基盤施設の収入(この場合は、廃止せず維持することによって得られる税収)が、維持管理費を下回っていたとすれば、財務分析をするまでもなく、赤字が年々雪だるま式に膨れ上がっていくことは自明である。建設費はおろか、維持管理費でさえ、この人口減少の時代においては社会基盤施設をいとも簡単に「負の遺産」にしてしまう可能性があるのだ。直感的にはそうした社会基盤施設は多いように思える。

 つまり、今までの昭和のやり方を続ける限り、日本の社会基盤施設投資はある種の「チキンレース(※)」に陥っているのだ。それが「負の遺産」になり、まずはいくつかの自治体が財政破綻するという「衝突」を目の前にして、なぜかこの国に「臆病者」はおらず、昭和に取り憑かれたまま漫然とアクセルを踏み続けている。もちろん、布石は打たれつつある。昨今の国土交通省の新規政策を見ると、都市局は「ウォーカブルシティ」、水管理・国土保全局は「流域治水」、「かわまちづくり」、道路局は「ほこみち」などが並ぶ。どれも、令和の時代に適切に社会基盤施設が価値を生んでいく政策へと舵を切るための布石だと解釈できるものばかりである。

しかし、それだけでは手ぬるいのだ。どれだけ本腰を入れてそれが展開されたとしても、アクセルを緩めて「衝突」を若干先延ばしするだけの話でしかない。社会基盤施設が「負の遺産」とならないためには、社会基盤施設そのものの量を減らしていく必要が必ずある。もちろん時代に応じた施設整備は必要である。つまりは、作った以上に減らして人口減少時代においても生産性が維持できる状況へと社会基盤システム全体をアップデートしていく必要がある。それをしなければ「衝突」を回避するブレーキにはならない。社会基盤施設整備を担う土木技術者はもっと「臆病者」にならなければならないのだ。

 日本の土木技術者はどれだけ世間から批判を受けても「社会のための仕事」という矜きょう持じを持って働き続けている。以前このコラムで書いたように、東日本大震災からの復興において設計業務に忙殺される関係者であっても、「どんなに大変でも、百年使うのだから今きちんと質を高めよう」という言葉が皆の心に響いたのは、土木技術者皆が社会のために頑張っているという自負を持っているからに他ならない。社会の重荷になる「負の遺産」を量産する土木業界になった途端に、その矜持は木っ端微塵に砕かれてしまう。自治体財政を破綻させても己の利益を追求するような土木業界に残り続ける技術者は何を矜持に技術を磨くのであろうか。我々は自らの矜持を守るためにも、「臆病者」でなければならない。

 人口減少時代にふさわしい費用便益分析のあり方、そして維持管理費、すなわち社会基盤施設量を減らしながら、生産性や魅力を維持・向上するための社会基盤施設の更新計画論が、今こそ必要なのである。残念ながら、現時点では土木計画系の研究者や行政機関がそれに向けた大きな動きがあるわけではない。冒頭で紹介した、森杉壽芳先生や早逝された上田孝行先生がご存命なら、この局面でどういう行動をされたのだろうか。さまざま妄想は広がるが、両先生が既にこの世にいないことを悔やんでいても未来にはつながらない。専門外の微力ながらも、「臆病者」を増やしていきたいとそう思っている。

※: チキンレース:相手の車や障害物に向かい合って、衝突寸前まで車を走らせ、先によけたほうを臆病者とするレース。
出典:小学館デジタル大辞泉


建設物価2023年5月号

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