建設物価調査会

【建設時評】文芸のなかの建設と住民

【建設時評】文芸のなかの建設と住民

早稲田大学理工学研究所 招聘研究員
一般社団法人 全国土木施工管理技士会連合会 顧問
小林 康昭

 建設事業は,世のため人のためにインフラストラクチャを整備する活動である。建設する地元に恩恵を施すから,地元住民は歓迎し感謝する筈だ。だが,そういかないことがある。地元に犠牲を強いる一方で,利益に預かることが少ないか期待できない場合には,必ず地元住民の反対を受けるものである。

 石川達三「日陰の村」新潮文庫1948は,犠牲を強いられた地元住民を描いている。
“昭和5年,東京市(当時)水道局は,多摩川の上流で水を堰き止めて大貯水池を造り,小河内村を水底に沈める計画を立案した。”

 “水道局長から説明を受けた小河内村の村長は,即日村議会を招集して,反対する議員一同に対して諄々と,東京市の水道の重要性を説き,大乗的見地に立って賛成すべきことを悟らしめた”
順調なら翌年4月には仮契約が済む筈だったが,それからまる2年,お役所仕事は一向にはかどらず,無為の時日を過ごしてきた。

 邪魔が入った。多摩川の下流の六郷川の右岸の神奈川県側には,昔から六郷川を水源とする用水があり,現在も田畑や工場地帯に水を供給していた。東京府が断りなく,上流で
玉川上水や村山・山口貯水池で取水していることに,神奈川県側は積年の恨みがあった。
神奈川県知事は昭和8年,東京市の小河内大貯水池の計画の中止を迫った。東京市は事業を進めることができなくなった。

 “役場を訪れた村人が「麦を植えても良いか」と相談を持ち掛けても村長は答えられない。” 立ち退きの時期が決まらないと生活の目途が立たない。“地元住民は立ち退きを前提に,家屋の修理を控え,養蚕,施肥,漬物,作付け,農耕,養鶏を放棄し,牛馬を手放した。”地元住民は立ち退きまでの間,仮の宿りの生活を送る羽目になった。住民の困惑をしり目に役人たちは言質を与えず明言を避けた。

神奈川県知事は昭和8年,東京市の小河内大貯水池の計画の中止を迫った。東京市は事業を進めることができなくなった。

 “役場を訪れた村人が「麦を植えても良いか」と相談を持ち掛けても村長は答えられない。” 立ち退きの時期が決まらないと生活の目途が立たない。“地元住民は立ち退きを前提に,家屋の修理を控え,養蚕,施肥,漬物,作付け,農耕,養鶏を放棄し,牛馬を手放した。”地元住民は立ち退きまでの間,仮の宿りの生活を送る羽目になった。住民の困惑をしり目に役人たちは言質を与えず明言を避けた。

 困窮した人々を狙って高利貸しが暗躍し,土地を担保に高利で金を貸し付けた。その借金を返せない。土地は高利貸しの手に渡った。それを高利貸しは東京市に高く売りつけた。

 “昭和11年,事業と起債の認可が下付された。住民は6年間待たされたのである。昭和12年,起工式が挙げられた。土地買収価格が公表されたが,恩恵を受けられたのは限られた豪農たちだけで,田畑を取られてしまった貧農たちは得るものはなく,村を出て行った。小河内ダムの建設工事は,昭和18年,戦争の激化で,一旦中断し,戦後の昭和23年に再開して,昭和32年に竣工した。

 城山三郎「黄金峡」中公文庫1979・講談社文庫2010は,福島県の会津若松から物見川の上流にバスでさかのぼって4時間,戸倉の集落が舞台である。この地に,日本発電公社がダムを建設する計画がある設定である。

 “半鐘が乱打された。寄合で申し合わせてあった氏神宮の境内は,既にいっぱいの人であった。”“自動車から地下足袋の脚を揃えて降り立ったのは,浅黄色の作業服姿の男だった。「私はダム建設所長の織元です。みなさんお集りの様子だが,代表の方とお話したいのだが……」 反響がなかった。”

 “激しい叫び声が一斉に起きた。「けえれ」「ここはほかの土地とはちがう」「おらたちは絶対に動かねんだ」「話すことはねえんだ」織元が念を押すように「絶対反対なんですな」「ンだ」「ンだ」の声が返ってくる。”

 織元は手を拱くことなく,地元住民たちに接触を重ね,彼らを会津若松郊外の東山温泉に招いて,説明会の開催にこぎつけた。

 “既に完成していた佐久間ダムの記録映画を見せられた。” そのうえで,佐久間ダムの地元住民たちへの補償金の実態を知らされた。「みなさんが根拠のない要求を示されるなら,こちら側も勝手に補償を提示して,法律の力で強制的にお移り願うこともできる」“

 織元は話を続けた。“「佐久間では今から30年も前の大正時代に,地元の人が佐久間界隈の岩山をただ同然で買っておいた。30年待ってダムの話が起きた。待ちに待った彼は途方もない額を要求した。要求するだけで,その後は頑として話し合いに応じない。とうとう,土地収用法が発令されて,その岩山は安い値段で取り上げられてしまった。その人は泣いて頼み込んだがどうにもならなかった。30年間,辛抱したのに,みすみす補償を逃してしまったんだ」” 一同,声がなかった。

 “配られたプリントを恐る恐る覗き込んだ。疑心暗鬼だったものが,形を現したのだ。”

 “数字が羅列している。田1反22万5千円,畑1反18万円,採草地1反3万2千円,山林1反1万2千5百円,宅地1坪千2百円,庭石1貫目25円,立木1石 千80円,動産移転費8万円,移転旅費6万円,移転先調査費3万円,墓移転費1基1万円,墓改装費10年以下1万5千円,11年以上5千円,21年以上2千円,墓供養料5万円,……。” “発電公社が示した田1反22万5千円の根拠は,戸倉で1反から年収穫が2万8千4百円,そこから肥料代などを差引くと1万4千5百円の純収入になる。この純収入を年々住民たちの手元に入るようにしたい。それだけの金額が確実な形で手に入るには,年8%の金利の信託に22万5千円の元金を預けておけば,今後は田を耕さなくても耕したのと同じ所得が,遊んでいても手に入ってくる。”

 誰も口を利かない。更に言葉を継いだ。“「発電公社が買うわけではないのです。住宅も庭石も庭木も,すべてそこにあることだけで,補償のお金をお支払するのです」「補償費を貰ってから売っても……」「結構です」「二重に金が入るだが……」

 住民たちの眼が輝き出す。今,立木を手放せば,立木の補償費と伐採した売値が手に入る。東山温泉から戸倉に戻る一行の顔は晴れ晴れとしていた。”

 戸倉の家々の庭先は,川から運んできた石で埋め尽くされた。庭石の補償費狙いである。

 “雪がとけると,ぜんまい採りの季節である。ぜんまい小屋からは,ぜんまいを茹でる大鍋の火が,朝は暗いうちから夜更けまで燃え続けた。山野に自生する天啓物に対する水没補償が,各戸の摘み取りの実績に比例するという噂が流れたのだ。少しでも多くとれば,売上とともに補償金が貰えて二重に儲かる。”戸倉集落の憑かれたような殺気に満ちた熱中ぶりは,人々の心の均衡を失わせていた。

 “交渉の座のなかから声が出た。「理屈は,ンだけどもなあ」 その声に誘われるように「世の中は理屈通りにはいかねえス」「おらたちは理屈以上なんだス」ざわめきが挙がった。騒ぎ立つ住民たちを見て,織元が立ち上がった。” “「生活補償の理屈以上の犠牲にも補わせて頂きたい。」” 住民たちは口々に,先祖伝来の土地を沈めては申し訳ない気持ち,生れ故郷を失いたくない気持ち,新しい生活が不安な気持ち。これに応じた織元は「1反あたり22万5千円のほかに,更に1反ごとに2万5千円,つまり1反25万円では」

 補償金の支払いが始まると,行商人たちが,トラック,オート三輪,さらに馬の背や人の肩に雑多な商品を積んで戸倉になだれ込んできた。家々に電気洗濯機などの家電が置かれ,クライスラーなどの外車が軒先に駐車した。設定された昭和30年頃と今とでは約40倍の価格差がある。当時の一戸平均の補償金額4百万円は,今の時代に換算して1億6千万円。住民に与えた影響の大きさが分かる。

 “話題になったのは,戸倉を出て行った人々の消息だった。1千万から1千5百万の補償金を受け取りながら,高利につられて貸したまま踏み倒されたり,怪しげな事業に投資して横領されて無一文になった者が多数あった。” 雪道をクライスラーで飛ばして渓谷に落下して,乗っていた全員が即死した事件が起きた。“織元はそうした消息を心の奥深く吸い込むように聞き取っていた。”

 平穏に暮らしている地元住民たちを,建設事業が翻弄して,彼らの人生や運命を変えてしまう。時に建設事業は恐ろしい。そして,罪が深いものである。


 


建設物価2023年7月号

文芸のなかの建設と住民

おすすめ書籍・サービス

まんが 土木積算入門-実行予算編-
まんが 土木積算入門-実行予算編-
若手社員の研修教材として
「土木積算」、特に「実行予算」作成(基本的な考え方・手順等について)の入門書として、マンガで分かりやすく解説
改訂7版 土木施工の実際と解説 上巻
改訂7版 土木施工の実際と解説 上巻
若手社員のテキストとして最適です。
土木工事の施工法について、施工手順のフロー、施工機種の選定及び工程ごとの施工写真、イラスト等を掲載し施工実態をわかりやすく解説
改訂版 まんが めざせ!現場監督
改訂版 まんが めざせ!現場監督
工業高校を卒業し建設会社に入社したての若者と、入社3年目の女性の2人が、一人前の現場監督に成長する姿をストーリー仕立てで描いています。
若手社員やこれから建設業を目指す学生さんたちに、ぜひ読んでいただきたい一冊です。