建設物価調査会

【建設時評】時間外労働の割増賃金率は十分か?

【建設時評】時間外労働の割増賃金率は十分か?

一般財団法人 建築コスト管理システム研究所
総括主席研究員 岩松 準

 建設業の働き方改革で、4月から罰則を伴う時間外労働の上限規制が設けられた。労働基準法(以下、法という)では、1日8時間・週40時間労働が原則であり(法32条)、毎週少なくとも1回の休日を設ける(法35条)等のルールがある。これを超える労働を時間外労働と呼ぶが、適用が5年間猶予されてきた建設業は、月45時間・年360時間の上限ができて、特別の事情がある場合でも年720時間を超えることができなくなった(法36条)。この上限規制は罰則(6か月以下の懲役または30万円以下の罰金)付きである(法107~120条)。懲役はともかくとして、このレベルの罰金ならば払ってでも時間外労働をさせる誘惑に駆られる雇い主がいるかもしれない。

しかし、上限規制違反の罪数は労働者1人1日ごとに1罪とされている(藪清紡織事件判決)。そのため、併合罪で処断されると、懲役刑の場合は罪の1.5倍、罰金刑の場合は機械的に人数×日数倍以下の金額になるから注意が必要¹という。

 上記のように1日8時間・週40時間労働が原則だが、条件を満たす場合には1ヶ月あるいは1年を平均して1週40時間にする月単位や年単位の変形労働制もある。これを超える労働のことを法定時間外労働という。

いわゆる残業というのは、会社毎に定めた「所定労働時間」を超える時間を指すことが多いが、法律上の時間外労働は「法定労働時間」を超える時間なので、注意が必要だ²。同様に、休日労働の規制も会社毎の「所定休日」ではなく、雇い主が毎週1日(又は4週間を通じて4日以上)定める「法定休日」を指す。時間外及び休日の労働をさせる際には、雇い主は労働組合などとの協定内容(法36条に基づくため、三六協定という)を労働基準監督署に届け出る必要がある。

また、雇い主は時間外労働には割増賃金を支払う必要もある(法37条)。割増賃金は雇い主に対する一種の罰金であり、これによって残業を抑制しようとするものである。表1は法が定めるルールで、基礎となる賃金の1.25倍~1.75倍以上に設定されている。各社の運用値は表1の値より大きくできるわけだが、この最低線で決めるケースが多いのではと想像する。

なお、残業として処理されない残業、持ち帰り残業、自主管理と称するタダ働きの時間³など、統計に載らない隠された事実上の残業のことも忘れてはいけない。

 表1のような割増率が世界的にみて低いとする見解がある。日本は1.25倍が基本水準なのだが、1.5倍(休日は2倍;休日残業は1.5×2=3倍)になっている国が多いのだという。そもそもこの割増賃金率25%(1.25倍)の数字はどこからきたものか? 

――戦前の工場法の時代には割増賃金の規定は存在せず、戦後の労働基準法で初めて設けられた数字である。これは1919年の国際労働機関ILO 第1 号「労働時間(産業)条約」第6 条の

“shall not be less than one and one-quartertimes”

から取られたものという。日本では現在に至るまでこの数値は動かなかったのだが、諸外国はどうもちがうようだ。アメリカは労働時間規制が緩く、市場動向に委ねる国とされるが、しっかりと連邦法では週40時間を超える労働時間には1.5倍と規定し、各州法でそれ以上に決めている例がある。カリフォルニア州では1日12時間超の労働には2倍、7日連続勤務の場合の7日目の8時間までの労働に1.5倍、8時間を超える労働に2倍の割増賃金を払う必要がある。

また、イギリスでは多くは個別の労働協約が対応するようだが、エンジニアリング業のホワイトカラー労働者の典型例では、平日の時間外労働で1.5倍、週末のうち土曜が1.5倍、日曜が2倍とのことだ。欧州諸国の労働法制はEU 労働時間指令2003/88/EC に強い影響を受ける一方で、時間外手当や時間外割増賃金は、各国の法律では明示的に規定せず、雇用契約や事業所協定、団体協約等で定める例が多いそうだ。

各国労働法制ではEU 指令を受けて労働時間の上限規制のみを重視しており、原則、週48時間を超える労働は認めない対応である。このように欧州各国では安全衛生の観点からの労働時間(最長労働時間、休憩・休息、休暇等)規制が主眼という。

 ILO 第1号条約制定当時、旧ソ連では2時間までの残業が1.5倍、これを超えると2倍だったそうだ。社会主義国のベトナムでは、1日8時間・週48時間が法定労働時間であり、平日の時間外労働は1.5倍、週休日は2倍、祝日又は有給休暇中では3倍などの割増となっている

ベトナムに次いで、外国人の就労者が多く来日するインドネシアでも、時間外労働は1日最長4時間、1週間当り18時間までの制限がある。時間外労働の最初の1時間が1.5倍で、それ以後は時給の2倍、また、日曜や公休日の時間外労働は最初の7時間が2倍、それ以後は3倍になる

こうした例を見る限り、日本は表1の割増率が低い水準にとどまるとともに、時間外労働の制限も比較的に緩い事実が理解されよう。特定技能や技能実習あるいは技人国在留資格で来日した彼らの常識からすると、安い割増率で長時間残業をこなす日本人労働者のことが信じられないのではないかとも思う。

 年齢を重ねいつしか残業手当がなくなった筆者には自覚が薄れたが、日本ではこの手当は長時間労働に従事する労働者に対する補償という側面もある。残業手当で生活費を賄うためという経済目的で残業する人もいる。残業代が見込み賃金になっているのは、低賃金の証である。一人親方で日給月給という人の場合は、残業で1.25倍になるという感覚自体がないのかもしれない。

日本でなかなか残業時間が減らないのだとすれば、低賃金というのもあるが、低い割増率で罰金としての効果が不十分なことが原因とはいえないだろうか。雇い主としても諸外国並みに1.5倍の残業代となれば、従業員の残業時間を減らす動機を高めるのでないか。世界の常識から外れた日本の常識を疑ってみてはどうか。

参考文献:
藤本武『世界からみた日本の賃金・労働時間』新日本新書430、1991/5;同『労働時間』岩波新書481、1963/3
労働政策研究・研修機構「諸外国の労働時間法制とホワイトカラー労働者への適用に関する調査:―アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス」JILPT 資料シリーズ No.248、2022/3

1 山崎篤男「所論諸論:上限規制の知っておきたい運用」日刊建設工業新聞2024/4/2
2 自己申告制の労働時間管理の場合、1分単位での客観的時間把握義務が生ずる。また、建設現場では早出残業問題がある。例えば、事業所から現場までの距離があり、朝礼(新規入場者教育、KY ミーティング)時間に合わせた出勤が強いられるケースでは、移動時間が法定労働時間に当たるのかという問題。直行直帰できれば解決できる問題もある。移動時間が長い職種の全圧連では、午後3時上がりの工程を提示するなどの対策をとっている。

3 代表例は、上手くなりたいから休日でも時間に関係なく働きたいなど、ヤリガイ動機に基づくもので、本来は法が守るべきもの。労働にはモチベーションが必要なことは言うまでもないが。個人の能力向上が賃金や処遇のステップアップに結び付くことが前提でなければ、自己研鑽の意味は薄い。ジョブ型雇用などの労働環境が整った社会ならばよいが、日本ではまだ珍しいのではなかろうか。(ブラック、ヤリガイ詐偽などと揶揄される)

4 藤本[1963]、p.165等。労働基準法制定時に法定労働時間は週48時間だったが、1935年のILO 第19回世界大会(週40時間大会)の第47号条約、1962年の116号条約(1935年の週40時間条約で原則が定められた週40時間の基準を、必要に応じて段階的に到達すべき社会基準として示し、1919年第1号条約に準拠した扱いとする)を経て、世界は徐々に週40時間水準となった。日本が後者116号条約を批准したのは1971年だったが、国内法が対応したのは1987年で、段階的に時短が進められ、法定労働時間40時間が実現したのは1994年(一部業種は1997年)となった。

5 藤本[1991]、p.51が面白い話を紹介している。マルセーユの港湾労働者が5時までの労働契約で、夕方5時になるとクレーンで荷を宙づりしていようが全員が仕事をやめて帰っていく。あとは日本船の船員がその荷を元にもどす…。欧州では今でも似た話が聞かれる。

6 藤本[1963]、p.166

7 残業上限を月間60時間に緩和、急な増産や人手不足に対応(ベトナム) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース – ジェトロ (jetro.go.jp) 及びhttps://www.jil.go.jp/foreign/basic_information/vietnam/index.html

8 JETRO「インドネシア 外国人就業規制・在留許可、現地人の雇用」2024/2/7

9 技術・人文知識・国際業務


建設物価2024年6月号

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