人手不足である。職員・社員採用の定員が埋まらないという悲鳴が建設業界のあちこちから聞こえてくるようになってきた。地方では人気が高かったはずの県庁職員でさえ、土木職の定員が埋まらないとの話まで聞こえてくる。そんな中で「やりがい」をアピールして人気を高めようと、「授業をさせてほしい」といった申し出が官界からも大学へときたりしている。もとより地域を良くするために徹底的に工夫して良いものを作る公共事業は「やりがい」の塊である。しかし、もしそれが「無駄な公共事業」であれば担当する技術者には「やりがい」どころか苦痛でしかないし、学生や市民から見ても魅力に感じるはずもない。2009年5月号で小欄に書いた「体験としてのメディア」(実際に作られた社会基盤施設での体験から人々が感銘を受けたり有用性を実感したりすることを通じた魅力の発信)がいまだに有効に働いていないことに「やりがい」問題の本質がある。事実、精力的に質の高いまちづくりを展開している自治体や企業は人気なのである。
人手不足は建設業界に限った話ではなく、どこの業界も同じである。生産年齢人口がどんどん減っているのだから、業界に関係なくそうなるのは当たり前である。小中学校の教諭の「やりがい」アピールのため、2021年に文部科学省がSNS で「♯教師のバトン」というタグでプロモーション展開をしようとしたところ、現役教諭達が労働時間や労働環境の劣悪さを赤裸々に語る投稿で溢れかえり、却って逆効果になったことも記憶に新しいどころか、今なお現役教諭の悲鳴に近い呟きが「♯教師のバトン」のタグ付きで発信され続けている。一度でも良い先生と出会ったことがある多くの人から見れば、教諭という仕事がやりがいに満ち溢れていることなど、言われる前から知っているのである。にもかかわらず成り手が少ないのだから、やるべきことは「やりがい」のアピールではない。
「やりがい」アピールでは人が集まらないことを察してか、「働き方改革」も進められている。筆者が籍を置いていた30年ほど前の建設省(実際の勤務先は北海道開発局)では、霞ヶ関から終電では帰れず深夜にタクシーや下手したら始発で帰るというのが日常だったようだ。当時、人事院主催で省庁を超えて2年目のキャリア官僚を集めて実施される「2年目研修」に、筆者も参加したが、毎晩のように残業時間自慢で盛り上がっていた。まあ、盛っている輩もいただろうが、残業時間が「月200時間」程度が当たり前のようで驚いたものである。そして100時間残業しようが200時間残業しようが、30時間分だったか27時間分だったか記憶が曖昧だが、そんな残業手当しかつかないのが当時の建設本省の常識であったと思う。幸いにも、当時、北海道の事務所勤務で定時に上がってススキノやスキー場に出かけるなど、北海道暮らしを謳歌・満喫していた筆者は、「キャリア官僚なのだから残業時間ではなく天下国家を語れよ」と、心の中で悪態を吐きつつ、共通の話題で盛り上がる各省庁の同期たちを対岸の火事のように眺めるほかなかった。そんな霞ヶ関も、卒業生に聞いてみると近年は「働き方改革」の名の下に終電前には帰れることが多いとのこと、さらに残業手当は正しく全額支払われているということだ。
ともあれ、官民問わず建設業界をあげて「働き方改革」を断行し、勤務時間を正常化するには、仕事の効率が上がるか、仕事量を減らすしかない。さまざまな事務・業務システムや解析アプリなどの導入など(霞ヶ関では非人道的な時間の国会待機をやめさせることなど含め)により仕事の効率が上がる一方で、不祥事があるたびに事務手続きが改悪され生産性が下がっていくことも多い。極一部の悪人のために善良な大多数の生産性を下げるような改訂は本当にやめるべきなのだが、実際には不祥事の「再発防止策」の名の下に、くだらないルールが増えていく(大学も他人事ではない)。
そんな生産性の綱引きの中でどのように正常な勤務時間を実現するのだろうか。とある建設コンサルタントでは、徹底的に外注を増やしているのだそうだ。自分たちの作業を減らし、勤務時間も減らす。ひょっとしたら霞ヶ関もそうかもしれない。そうすれば確かに勤務時間を正常化できるかもしれない。しかし、企画構想・調査・計画・設計の実際のところを外注先に丸投げしていて、技術者として実力がつくはずがない。外注先の仕事の質を判断、更には外注元としてきちんと指導するためには、自分でも取り組んだことがあることが、とても大事なことのように思える。つまり、外注への依存は、短期的には正常な勤務時間を得られるが、中長期的には官民問わず稼ぎの根源である自らの技術力を失うことに繋がる禁断のやり方のように思える。そして社会的には、「ブラック労働」が外注元から外注先に移るだけのことのようにも思える。
ところで、栃木県の那須ハイランドパークが今年のお盆休みの短期アルバイトを、人手不足を見越して時給2500円で募集したところ、お盆休みに働くにも関わらず、あっという間に定員が埋まったという。調べてみると、よほど良い人材が集まったようで、園内の店舗の売り上げが前年比で3倍近くとなり、土日祝で継続的に実施することになったようだ。外資系のCostco やIKEA、更には熊本に進出するTSMC もアルバイトの時給が高く、引く手数多である一方で、周辺の人手不足がさらに深刻化しているとの話を聞く。
考えてみれば当たり前である。お米が(買い占め含めて)不足して、値段が上がったのと同じで、全国的に生産年齢人口が減り、人手不足となっているのだから労働市場において労働者の価値はどんどん高まっているのである。日雇い職人達の労務単価は高騰している。日雇いという雇用形態の良し悪しは別にして、極めて正しい。二つの現場から声がかかったら、高い方に行くという形で市場原理が適切かつ確実に作用するからである。そうした単価の改訂だけでなく適切に一般管理費率なども上げていったことや、現場での徹底した合理化などの努力を進め、一部の大手建設会社は院卒技術者の初任給(月給)30万円越えを提示して人を集めようとしている。それでも優秀な人材確保に苦労している状況で、建設コンサルタントや行政がその2/3という恐ろしく安い給与しか提示せずに、「やりがい」だけで優秀な人材が集まるはずはないのである。IT や生成AI の進展により土木という理系学科を卒業した学生の価値は建設業界だけでなく、あらゆる業界において貴重なのである。優秀な人材ほど安い給与の行政にもコンサルタントにも見向きもせず、別業界の会社・組織に行くだけの話だ。
公務員の給与を大幅に上げることは国民全体からの「妬み」と、財務省の反発もあり、なかなか人事院が踏み込めないことは理解しているが、そもそも定型業務が全く通用しない人口減少下での国家戦略、地域の生き残り戦略立案をし、さらにそれを実施・実現していくという高度な能力が行政の一部には求められている時代なのである。定型業務相当の給与では全く割に合わない。つまりは仕事内容に応じて公務員が適切に稼げるような改革が実施されなければならない。例えば、国家公務員なら「特別総合職」、地方公務員なら「特別上級職」など、定員は少ないものの初任給30万円以上の職種を作るのはどうだろうか。もちろんその分、今まで以上に高度な仕事をきちんとこなしてもらう想定である。さらに行政によるヘッドハンティングももっと進められるようにしなければならない。新規採用だけではあまりに心許ない。そのためには、中途採用の人材に最初に設定される「級・号俸」を機械的な経験年数ではなく、能力含めてもっと自在に決められるようにすることも重要だろう。
建設コンサルタントの場合も同様だろう。標準設計や雛形ベースの調査報告書といった定型業務中心では初任給30万円を払える利益は出ない。今、必要なのは、ちょうど昨今外資系のコンサルタントが、あちらこちらでそうしているように、自分たちの技術力や知恵を適正な価格(我々からみると法外な高値にさえ見える)で売るという、本来当たり前のことの実行なのである。これからは縮退時代の生き残り合戦であり、より高度な戦略やより質の高いデザインが求められる時代である。そんな高度な仕事を、いつまでも定型業務の値段で請け負い続けていては、優秀な人材が集まることはなく、会社の未来は確実に暗くなる。そもそも稼ぎ方を変えなければ変われないのだ。
つまり、「稼ぎ方改革」こそ、官民問わず全建設業界で進めていかなければならない喫緊の課題なのである。それができれば、「やりがい」はもちろんのこと「働き方改革」も自動的についてくる。
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