建設物価調査会

【建設時評】文芸に見る建設とホテル

【建設時評】文芸に見る建設とホテル

早稲田大学理工学研究所 招聘研究員
一般社団法人全国土木施工管理技士会連合会 顧問
小林康昭

 1890年に東京日比谷に開業した帝国ホテルは、外国人迎賓施設としての役割が期待された。欧米の主要都市に引けをとらない壮麗で本格的な石造りの西洋建築にしたかったのだが、かつてその一帯は入り江で、徳川家康によって埋めたてられた地盤は軟弱だったので、建物は軽量化する必要があった。建てられた初代本館は、漆喰壁の外壁に疑似石色の塗装を施して石造建築を装う、木造の洋館だった。竣工から20年過ぎると、様々な不具合が生じ、新本館建設の構想が持ち上がった。

 1923年に完成した二代目本館、通称「ライト館」の建築の顛末は、植松三十里「帝国ホテル建築物語」PHP 文芸文庫に詳しい。物語は、林愛作、フランク・ロイド・ライト、遠藤新、大倉喜八郎、大倉粂馬たちを軸にして進んでいく。林は帝国ホテルの支配人。ライトはライト館を設計し、建築工事の指導をしたアメリカの建築家。遠藤は帝国大学を出た建築家で、ライト館の設計と工事でライトの助手をつとめた。大倉喜八郎は大倉財閥の総帥にして帝国ホテルの社長。大倉粂馬は帝国大学工学部出身の技術者。大倉喜八郎の娘婿で、大倉土木(現在の大成建設)の経営者でもある。

 林は若くしてアメリカに渡り、ニューヨークの古美術商で働いていた。林の商才が、偶々、商用でニューヨークを訪れた大倉の目にとまった。大倉は古美術蒐集家でもあった。大倉が経営する帝国ホテルは“開業以来、支配人やコック長などの幹部に外国人を雇ってきたがうまくいかず、赤字が続いていた。”大倉は、林を帝国ホテルの支配人に引っ張った。

 林は大倉が企図する新本館建設を知り、建築家のライトに目をつけた。ライトは浮世絵や錦絵の蒐集マニアで、林の顧客として知り合いになっていた。林が“目をつけた理由は、ライトがブレリースタイルと称する低層住宅を得意とするところにあった。” “ライトなら日比谷の軟弱地盤に低層ながら日本建築の要素を取り入れ、西洋的な感性の魅力的な建物を設計してくれそうな気がする。”

 林は、偶々、ホテルを見学に訪れていた帝大生の遠藤に訊ねた。

“「遠藤君はライトをどう思う?」

「素晴らしいと思います。ぜひともライトを起用すべきです。彼の意匠は独特です。装飾的なのにすっきりと敷地と環境に合わせることを大事にしているので同じものがない。” “それにどことなく懐かしい感じがするのです」”

“林は、遠藤の感性を見直した。「懐かしくて当然だ。彼は親日家で、作品に日本建築の影響がある” “ゴッホやモネが浮世絵をそのまま真似たのとは違って、ちょっとしたことを巧みに取り入れるから、言われてみないと分からない。” “ 意見は参考にさせてもらう。遠藤君は師と仰ぐ人はいるのかね?」

「いません。いるとしたらライトです。できれば卒業後は、アメリカの事務所に弟子入りしたいと思っています」

「そのときは、僕が推薦しよう」

「知り合いですか?」

「彼は、ニューヨークで僕の顧客だった」

「ぜひともお願いします」遠藤は深々と頭を下げた。”

 “ライトは当時、女性問題を起こして名声は地に落ち、設計の仕事がなく暇を持て余していた。ライトは林の要請を受けて1916年12月に来日し、本館に事務所を構えて設計に没頭した。”

 だが、事は順調には進まなかった。土地の引渡しが進まず、着工が遅れた。その間に林は、従業員たちの意向を汲んで、ホテル内にランドリーと郵便局を設け、ライトの希望で劇場を設けることにした。新しいホテルは世界一の機能を備えることになった。

 軟弱な地盤の“埋立地では石造りの建物は重くて沈んでしまう。” “ライトが採用した工法は浮き基礎だった。短い木杭を密に地盤に打ち込み、その上に設けた鉄筋コンクリート基礎の上に石材を乗せる。ライトは神殿を思わせる神秘的な意匠を構想した。” 石材見本は集まらず、ライトは待ちぼうけを食わされた。

 林と遠藤とライトが乗った“シボレーが青山通りを走り、間もなく渋谷というところで、ライトが叫んだ。「あっ、あれだ。車を停めろ」窓の外を指さす。停車するなりライトは舗道にとび出した。” “ライトは、道路端の門柱に手をふれた。そして「エンドー、これはなんという石だ?」「大谷石だと思います」薄緑色の石材は、いかにも軽そうだ。「イメージに合う安い石が見つかって、よかったですね」”

 “遠藤は大倉喜八郎に話を通すことにした。大倉は顔をしかめた。「石材を使うなら大理石とか、高級品でなくていいのかね」”

“ 大倉は娘婿の大倉粂馬を呼んだ。粂馬は「大谷石は強度に問題があるし、私は勧めませんが」

そして、「遠藤君はどう考えているのかね」

 遠藤に言えることは唯一つ「尊敬する建築家が使いたいというのですから、その意思を尊重したいと思います」大倉喜八郎が「わかった。そこまで信頼するなら、ライトさんと一緒に大谷に行ってこい」”

 “石切り場の洞窟の中では、絶間なくノミの音が響いていた。”

“ 遠藤は林に頼んで、山ごと買い入れることにした。東京までの貨物列車を毎日、二車両ずつ確保した。”

“ 大倉喜八郎は臨時株主会を開いて百八十万円の増資を提案した。” “ 欧米からの宿泊客は急増して
おり、ホテル業界の未来は明るい。帝国ホテルの総資本金は三百万円になった。”

 “事業は帝国ホテルの直営に決まった。総責任者の林は、ライトや遠藤の設計陣と工事を担当する大倉土木や大谷石の採掘組や装飾タイルの直営工場を束ねる立場になった。”

 “ライトの建築は積み木的だった。三階建てを作る場合、一階から二階までの柱と二階から三階までの柱の位置をずらすことがあった。絶妙なバランスで柱を組んでいくのだ。”

 “大谷から石工たちがやってきて、彫刻の作業が始まった。外壁にも内壁にも繊細な彫刻が施された大谷石をあしらう作業だった。大谷石は柔らかくて細工がしやすいが、角々がもろい。わずかでも模様が欠けると、ライトは気に入らない。そのうえ、たびたび意匠が変更される。”

 “ライトは頑固だった。芸術家的な自身の感性に自信があり、気まぐれやわがままに見える行動が多い。” “ 激情家でもあった。目白に建てる自由学園の校舎を設計した際、そのお礼にと女生徒たちがライトの前で合唱を披露した。その歌声にライトは感動し、みんなの前で涙を流して、驚かせたという。

 ”工期は大幅に超過し、工事費も膨れ上がった。ライトの要求に応じて際限なく資金を投入する林に、批判的な声が相次いだ。

 折から宿泊客の煙草の不始末で、別館と初代本館が消失し、焼死者が出た。支配人の林は辞任に追い込まれた。庇護者を失ったライトは落胆し、アメリカに帰国してしまった。
そして“二度と日本に戻ることはなかった。完全主義のライトのことだから、自分の手を離れた作品を見たくはなかったのだ。”後をライトの愛弟子の遠藤が継いだ。

 落成披露が行われる予定だった23年9月1日当日、東京を関東大震災が襲った。建物が軒並み倒れる中で、ライト館は倒壊しなかった。ライトが採用した浮き基礎が功を奏したのである。倒壊した諸外国の駐日公館は帝国ホテルに仮事務所を置き、社屋が倒壊したメディアもホテルを利用した。

 東京大空襲では、建物の半分ほどが戦災を免れたので、戦後は占領軍に接収されて、上級将校たちの宿舎に充てられた。

 竣工から40年たつと、ライト館は老朽化して壁面の剥落や漏水が相次いだ。周囲の高層ビルが地盤対策として地下水を抜くと、浮き基礎がアダとなって、建物は各所で傾いた。

 保存運動が起きたが、67年から解体を始めて、撤去された一部は博物館明治村に移築された。その跡に今、三代目本館が建っている。


建設物価2025年1月号

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