一国の都、即ち首都は基本的にその国の最大都市か中心地に置かれるが、零から造り上げられた首都もある。ワシントン(アメリカ合衆国)、キャンベラ(オーストラリア)、ブラジリア(ブラジル)などである。最近、ミャンマーではネピドーに遷都、インドネシアではカリマンタンに新都ヌサンタラの計画がある。
約90年前、日本人だけの手で首都造りした経験がある。満洲帝国の新京である。その経緯を越沢昭「満洲国の首都計画」(日本経済評論社)が明らかにしている。
満洲は本来、満洲族を指す民族名だった。中国東北部一帯に棲む満洲族は、中国本土に進出して清王朝を建てた。“ロシアが鉄道の権益を清王朝から獲得し、東清鉄道と南満支線を敷いた。” “ 日露戦争後、1905年に講和条約が結ばれ、南満支線の寛城子―旅順間の鉄道が日本に譲渡された。日本は鉄道経営のために、南満州鉄道(満鉄)を設立し、” “ 寛城子に近い長春城に長春駅を設けた。ローカルに過ぎなかった長春の地位は激変した。”
“1931年9月の満洲事変勃発後、満洲全土は関東軍の支配下に置かれ、中国からの分離独立の工作が進められた。” “ 溥儀(清王朝最後の皇帝)を元首とし国号は満洲国とし、首都は長春に置くことが決定され、1932年3月に長春を新京に改称することが公布された。”
“長春は当時、人口13万人。中規模の都市だった。” “ 長春はローカル都市なので、地価が安く用地買収をして都市計画を実施するのに有利だった。” “ 関東軍は、長春を首都にすることを公表する前に、長春の区域の土地売買禁止令を吉林省政府に公布させて、土地の投機を事前に防止した。”
“首都の建設計画は、関東軍(特務部)主導で、満鉄(経済調査会)、満洲国(国都建設局)の三者協議によって立案された。” “ 細部の実施計画と実際の事業は満洲国に委ねられた。” “ 宮殿と官庁街の位置について、満鉄と満州国側が対立した。” “ 政治都市の新京では、宮殿は最も重要な構成要素である。溥儀側の厳然たる申出に沿って、宮殿を南面させ、そこから幹線道路を伸ばし、官庁街を配置する計画を立てた。” “これは中国の都城の伝統的な計画原理に従ったものだが、” “ 満鉄側は中国の都城の原理には捉われず、宮殿を南面させないプランを作成した。” “ 激しいやりとりを経て、既存地域に近い地域に仮宮殿を建て、将来は既存市街から遠い地域を本宮殿の候補地としたが、本宮殿は未完で敗戦となった。”
“国都建設の財政計画は、土地を一括買収し、造成後の宅地払下げの収入を事業資金に充てる予定だった。” “ 初期の運転資金の借入先には、フランスを考えていた。” “ 外国資本に対して満洲を門戸開放したという実績を作り、満洲国にとって厳しい国際政治環境を良くしたいということだった。” “フランスのシンジケート団は、新京都市計画の事業の実施と投資に応じる意向を示した。”
“事業費予算は総額4,300万円。2,225万円を外債に頼る計画だった。関東軍は外債に反対した。満鉄は設計から工事までをフランスに渡すことに反対した。” “ 事業費総額を3,000万円に切り詰め、初年度のみ500万円を借り入れる計画を作成して承認された。”
“フランス側は、借款額の縮小に失望の意を示した。” “ 実際にフランスの借款が導入されたのは外交部の庁舎一棟にとどまった。”
“国都建設計画事業は、当初から地価上昇による開発利益が公的に還元されるシステムを作り上げた。” “ 事業の当初に農地の価格のままで用地買収し市街地として整備した後、その造成地を売却し、その売却金収入をインフラ整備事業の財源としている。” “これは戦後の日本で、工業地帯やニュータウンの建設に採用された方法だが、戦前では、満洲でしか実行されなかった手法だった。”
“第一期計画として121万坪(396ha)の地域に50万人を収容する計画が立案された。”“幹線道路網計画は都市の骨格を作る点で最重要事項で、その計画と築造には苦心した。”“新京の街路系統は放射状、環状、矩形式の街路パターンの長所が巧みに取り入れられ、世界の著名な近代都市計画と比較しても極めて優れたものになっている。” “ 矩形の街路パターンに、4条の斜路を配置した。” “ 格子状街路は単調で個性のない市街となりがちで、これを避けるため広場を設置した。” “ 停車場を計画の中心に置き、停車場前に円形の大広場を設け、他の重要地点にも広場を設けた。”“広場には大型公共建築物が建てられた。”
“道路率(道路面積の市街面積に対する比)は、都市基盤整備の水準を示す指標として考えられた。” “ 欧米諸国の都市を参考に、平均23%が適正として計画を立案した。”
“幅員10m以上の街路は、すべて舗装することになった。” “ 車道はタールマカダム舗装を採用した。” “ 荷馬車の通行路には小石塊を敷き揃える小舗石舗装を採用した。”
“軍の要請で新京の外周に環状道路を施工した。この道路が完成して抗日ゲリラの襲撃が終焉し、治安状態が良くなった。”
“初期の段階で水源調査を行い、地下約100mの深層地下水を揚水した。” “ 地下水の給水能力に限界があったので、ダムを築いて貯水池を設け、1936年1月から給水を開始した。” “1937年12月時点で、地下水7,000㎥、地表水1万5,000㎥を給水していた。”
“下水道は、佐野利器の強い要望で、新市街の全域に水洗便所の設置を実施し、” “ 汚水と雨水を分ける分流式を全面的に採用した。”“分流式にすることで、雨水を人工池に流し込んで親水公園化を図るなど、雨水を積極的に利用することが可能になった。”
“市街地には最低限度の建蔽率を定め、無駄な土地専用を避けた。建築物の高さは、余裕ある街並みを創り出すために、全地域を23m以下と規制した。” “ 幹線道路に面する商業地域では建築物を2階建て以上に規定し、集積のある商業市街地になるように意図している。” “ 住居地域では、隣棟間隔を確保することで、ゆとりのある住宅地にしている。”
“都心地区の都市美を創造するために、大街や大路に沿う官公庁の庁舎・大型商業建築は、道路境界線より10mまたは15mセットバックさせた。” “ 商業地域内では、道路と建物の間の空地を舗装し、ゆとりある空間を生み出す効果があった。”
“政府庁舎は、鉄筋コンクリート造りの壁体に日本風の屋根を乗せた一定の(帝冠)様式に統一された。”
“新京の都市交通はバスに頼っていた。ガソリンの供給が規制され、市民の足の確保が問題となった。” “ 当初からの方針は、地下鉄の導入だった。” “ 大阪市交通局の技術陣を招き、地下鉄計画を作成した。” “ 新京は、大阪市の半分のコストで工事ができることが判明した。” “ 建設中の豊満ダムから低廉な電力が供給可能だったので、運転コストも低いと考えられた。” “ 戦争による資材不足でセメントの配給を受けることが難しくなり、地下鉄計画は断念された”
“市当局は1941年1月、路面電車の敷設を決定し、” “ 満鉄の中古レールの再利用、車両は日本各都市の中古品を購入、電力は豊満ダムから供給を受け、年内に運転を開始した。”
“国都建設計画第一期事業は、わずか5年で人口33万人を擁する近代都市が出現した。”“1937年から国都建設事業は政府直轄事業から新京特別市に移管された。” “ 新京は、1941年には50万人を突破し予想人口に達した。”“1942年2月に「100万人を以て国都の適正人口とする」と政府決定された。”
新京の都市計画とその実施に関与した者は、後藤新平を媒介として、佐野利器、十河信二、直木倫太郎、岸田日出刀らが、近代日本の都市計画の発展と密接に関連している。
“新京の都市建設が日本の技術と資本のみで達成されたことは、日本の土木・建築史上で特筆すべきことだが、門戸開放を求めていた外国の技術と資本を完全に排除したことは、国際政治上ではプラスではなかった。
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