前回の小欄(2025年12月号)では「Thankless Job」と題して、今後の社会基盤施設の維持管理・更新の難しさについて、社会基盤施設が「感謝されない仕事」であるという観点から私見を述べた。
同じテーマで恐縮だが、人口減少そして技術者も不足するこの国の未来に向けて、そして、2025年1月に起きた八潮市での道路陥没のような事故をもう2度と起こさないようにするためにはどうすればいいのか、専門外ながら大切なことと思えるので今回も考えてみたい。
人口減少、そして技術者も不足していく時代において、社会基盤施設の維持管理費が増えていく現状は、巨視的に見れば、日本の年金制度や社会保険制度が行き詰まりを見せている問題と概ね構造が同じではないかと思える。年金制度も社会保険制度も高齢者が増えるにつれて自然と増え続ける年金支出や医療費を、減っていく生産年齢人口で負担せざるを得ないために、現役世代に過大な負担を強いており、もはや大問題となっている。
社会基盤施設も、高度経済成長期という生産年齢人口が大量にいた時代に大量に整備し経済発展の礎となった施設の老朽化が進んでおり、維持管理・更新に必要な費用が増大している。それと同時に、社会基盤施設は未だ増え続けており、それに伴って維持管理費も増大している。
しかし、その費用は、結局、減りゆく生産年齢人口がそのほとんどを負担しているように思える。なぜなら、年金や社会保険と異なり直接給与から天引きされたりするわけではないので、個々人に実感はないかもしれないが、社会基盤施設の維持管理・更新費用を負担しているのは、結局は個人や法人といった納税者の総体でしかないのだから。
社会基盤施設に対する現役世代の過度の負担を避けるには、増大する維持管理・更新費用を少しでも小さくするほかはない。その費用を下げるには、およそ3つの方法しかないだろう。
そもそも社会基盤施設の総量を減らすこと、次に質を下げること(例えば需要に合わせて道路幅員を狭めるといったものも含む)、そして、維持管理水準を下げる(もちろん社会基盤施設の破壊に至らないような水準でなければならないが)ことである。
こうして、概念的には簡単に整理できる維持管理・更新費用を下げる方法であるが、これを医療保険のアナロジーで考えると、実行することは決して簡単なことではないようにも思える。
社会基盤施設の量を減らすというのは、その廃止される社会基盤施設に依存する地域にとってみれば、「トリアージュ」であり、地域の「安楽死」であろう。もしくは延命治療を保険適用外にするということかもしれない。社会基盤施設の質を下げることや維持管理水準を下げることは、医療で言えば現在認められている先端的な治療法や薬を保険適用外にして古典的な治療法や薬に治療を限定することに相当するだろう。
たとえその地域がどれだけ衰退しているのだとしても、そして、どれほど社会基盤施設が利用されなくなっているのだとしても、その地域の生命線となる社会基盤施設を廃止したり質を下げたり、維持管理水準を下げるという、地域の存亡に関わることを、一体どうやって合意形成を図り実行していくと言うのか。効率性の問題だけでなく、公平性や倫理的な問題さえも含む課題であり、多数決の横暴が許される世界ではない。
しかし、維持管理・更新費用を下げ、現役世代の負担を小さくするには、他に方法がない。完全に詰んでいるように見える。
しかし、詰んでいるように見えるのは、年金や社会保険と同様に全国一律という巨視的視点で見ていたからではないだろうか。幸い、さまざまな社会基盤施設のあり方は全国一律で完全なルールとなっているわけではない。日本は広く、さまざまな地域がある。そして、さまざまな社会基盤施設がある。
例えば、「道普請」のように、社会基盤施設を住民たち自ら維持管理補修までする地域もある。橋梁や道路構造物を自分たちの生活を支えてくれる大切な施設として、行政と一緒になって住民が構造物の点検や日常の管理に協力してくれている地域もある。広場、公園、河川、道路のリノベーションを住民と一緒になってデザインして、一緒になって維持管理、利活用まで展開している事例は、全国に広がっており、枚挙に暇がない。
住民が自ら、そして住民と共に社会基盤施設を考えていくことは、その地域に応じた維持管理・更新のあり方、ひいては隘路の打開に必ずつながっていくはずだ。
そこまで直接的でなくとも、インフラツーリズムや現場見学会など、各地で展開されている地道な努力が、住民のインフラへの理解を促し、ひいては、詰んだように見える隘路の打開の際の応援団を増やしてくれていると思える。
もちろん、現場の土木技術者も、大規模修繕や更新の際は徹底的に以降の維持管理がしやすくなるように、工夫を凝らしている。
さらに、技術者不足に対しては、より広域の広域水道企業団などが実現されているし、難しい更新工事などの場合、市町村の代わりに都道府県が、都道府県の代わりに国が権限代行として事業を実施することも当たり前のように行われている。
土木技術者は、それぞれの職域でそれぞれ現場を持ち、地域と関わりあいながら社会基盤施設の面倒をみている。それぞれの現場において、それぞれの技術者ができることを最大限やっていくことが、実は隘路の打開への遠回りのようで近道なのではないか。
社会基盤施設への責任を持つ現場の土木技術者がどれだけ制度や予算や政治のせいにして「うまくできない」ことの言い訳をしながら溜飲を下げても、増大する維持費と減少する人口がもたらす隘路が解消されることはない。
歴史を振り返ってみると、公害、環境破壊、景観破壊、全て現場での戦いが事の始まりだったのではないだろうか。その後、現場に直面する市町村によって法的根拠のない自主条例が制定され、いくつか裁判で市町村が負けたりもしながら、大きなうねりを生み、やっと法制度や予算措置がなされてきたように思う。国の法制度や予算が動くのはいつも最後なのかもしれない。
社会の大きな変革は永田町や霞ヶ関からのトップダウンでは起こらないのではないかと思う。現場で住民と共に真摯にこの難しい課題と向き合い、その地域の未来のために尽くす土木技術者たちのより一層の奮闘の先に、この隘路はきっと打開されていくと信じている。
地域の未来を支える有効な新規投資としての社会基盤施設。地域の未来の足枷にならぬ既存社会基盤施設の維持管理・更新のあり方。誰も経験したことのない人口減少の時代に土木技術者の使命はますます重く、そして、やりがいに満ちている。
