固有名詞が覚えられない。そして思い出せない。
40代後半から徐々に始まった気がするが、まあ老化の宿命だろう。
人間の記憶システムは、さまざまな事象などとの関連性の中で記憶を保持している。だが固有名詞というものは、そもそも他の記憶との関連性が低い。
つまり、固有名詞は、人間の記憶システムの特性から言って、不得意分野なのである。
そう開き直ってみても、人名はもちろんのこと、授業で紹介するために土木構造物をネットで検索したくても、肝心の構造物の名前が思い出せない。そんなイライラが徐々に強くなってきたところでAIがどんどん発展し実装されてきた。
おかげで、固有名詞以外は思い出せるので「あっちの方にある、こんな特徴を持った歴史的橋梁ってなんて名前だっけ?」と質問すれば、お目当ての構造物の名前をちゃんと教えてくれる。なんて便利なのだろうと、技術の進歩をありがたく思う。固有名詞が思い出せないイライラが全くなくなった。快適である。
しかし、調子に乗ってAIにその歴史的橋梁の詳細を語らせようとすると、「嘘」を、さも本当かのように教えてくる現象(ハルシネーションと呼ぶらしい)に必ずと言っていいほど出くわす。仕方がないので、その「嘘」を訂正しつつ知りたい情報のための質問を投げかけると、突然英語になったり、回答しなくなったりする。イライラである。
所詮、無料ユーザー向けということなのかもしれないが、そんな為体を見せられると、とても課金する気にもなれない。
AIに課金していないので、現時点でのAIの最新性能を語る立場にはないが、AIはいくつもの本質的な問題を抱えているようだ。まずは専門知識に対する弱さである。AIは膨大な学習を経なければ安定しない。専門知識に関しては、AIの学習に耐えるほどの情報量はそもそも存在していない。
情報量が足りなければ適切に学習ができないし、とは言えネットに氾濫する素人による無責任な情報を組み込めばハルシネーションだらけになってしまう。学習させるデータを良質なものにスクリーニングすればするほど、データ量が減り安定した学習が得られなくなる一方で、安定するようにデータ量を増やせば、そこに虚偽の情報が紛れ込み、間違っているのに広まってしまっている情報を正しいものとして学習してしまう。
例えば、「メラビアンの法則※1」に対して、誤解に基づく一般の人の情報発信がやたら多いのは、心理学を真面目に勉強した仲間内では有名な話であり、初期のAIは間違って回答していたのではないかと思えるほどだ。つまり、データの質を高めると量が足りず、データの量を増やすと質が下がるという強いトレードオフが存在しているのだ。
さらには、簡単なイラストや作曲といった営み、簡単なプログラミングなど、さまざまな専門分野の入門部分の仕事がAIに取って代わってしまえば、誰も次世代のAIに学習させるデータを作れなくなる。なぜなら誰もその専門分野に入門できないからである(ジュニア・パイプライン危機と呼ぶらしい)。
そうすると、AIに入門部分を取って代わられてしまった専門分野は、その分野を発展させるような創発を起こす人がいなくなるので、全く発展しないことになる。もちろん、AI自身が学習したパタンの応用だけではなく、人間的な創造行為ができるようになれば(シンギュラリティと呼ぶらしい)、全く話は変わる可能性はあるのだろうが先の話だ。
さらには、そうやってさまざまな職種をAIに代行させると、人件費が削減されて個々の会社の経営的にはプラスに働くのであろうが、世界の各社がこぞってそれを実行すると、限られた資本家と、AIの性能を評価・改善できる何故か生き残った専門家だけが、まともな収入のある消費者になる。世界に失業者が溢れかえる世界である。
そんな状態では、当然消費が縮小するわけだから、まともに経済が回らず、結局、誰も稼げない状態になる。まさに「共有地の悲劇※2」である。
さまざまな側面から行き詰まることが想定されるAI前提の世界を人類社会はどう乗り切るのであろうか。筆者の年齢では、残念ながら見ることはできないようにも思うが、興味は尽きない。
さて、話が大きくなりすぎた。
土木業界に対するAIの影響に絞って考えてみたい。本誌を手に取っている読者各位がまさに取り組んでおられるであろう積算や、工事における重機のオペレーション、標準設計をベースにしたような設計、事業遂行のために必要となるさまざまな行政書類の作成など、社会基盤整備事業の上流から下流までAIが技術者の代わりに実行できる時代が近づいている。
土木業界では「ジュニア・パイプライン危機」をどう乗り越えようとしているのか心許なくはある。
AIを前提とした技術者教育がどうあるべきなのか、弊学の土木教室でも真剣な議論が始まっている。教育というものは、すぐに方向性が定まる種類の話ではもちろんないのだが、いくつかの留意点はあるだろう。
まず、AIのハルシネーションをハルシネーションと見抜く力がなければAIを使いこなすことはできない。それがまず大前提で、AIがパタン学習によるいわばいい加減な回答をすることに対して、きちんと理論に基づいて推論し、間違いや矛盾を指摘しながら、AIが持つ分析力を上手に活用する。つまりは、計算できることよりも、より一層、理論への深い理解と直観的な洞察力が求められる時代なのであろう。
さらには、ジュニア・パイプライン危機を飛び越して、AIにできないことを最初からできるような技術者を育成できるのが理想である。しかし、そんな技術者を、どうすれば育成できるのだろうか。
その一つの方法として、モノへの回帰があると思っている。
よりよい社会基盤施設を計画、設計、施工していくためには、エンジニアリングマインドともデザインセンスとも言える統合力が必須である。さまざまな条件を抱えた中で、さまざまな評価軸からも良いと思える社会基盤施設にするには、さまざまな分析力だけでなく、一つの計画案、設計案、施工方法を、無限とも思えるトレードオフを解消するような発案まで入れつつ、まとめあげていく創造的な統合力がどうしても必要になる。
隣の建築学のように、ひたすら計画演習、設計演習などを学生に課し、さまざまな観点、評価軸から批評しトレードオフを解消して、より良い計画・設計を創案できるような技術者を育成するというのはどうだろうか。現時点のAIは、そうした統合力をほぼ持っていない。
「昭和の呪縛」により、標準設計や定型業務ばかりで、まともな計画・設計ができる人が少ない日本の土木業界を、小欄でも何度も憂いてきたが、AIによる激動の時代に対しては、なんとも皮肉なことだが、それがプラスに働いている。
未だ土木の世界は標準設計や定型業務で満ち溢れているという残念な状況は、つまりは、AIがどれだけ学習しても標準設計や定型業務のやり方しか学習できないことを意味しているのだ。
とりあえず、そんな標準設計や定型業務はさっさとAIに任せればいい。
人口減少や災害にも強靱でいられる、地域や街の存亡をかけた質の高い社会基盤整備が必要な時代である。その主戦場にAIは一切コミットできない。
地域のために丁寧に計画・設計・施工を行う。戦前には当たり前であった土木技術者らしい土木技術者を、もう一度業界全体で育てていくしかない。AIにできない計画・設計はすなわち、標準設計や定型業務からの逸脱でしかなく、それは多くの土木技術者がすでに取り組み始めていることでもある。
技術者が一体どれだけ逸脱できるのか。
AIとの追いかけっこが始まっているのだ。しかし、土木技術者は簡単には負けないだろう。AIが簡単にパタン学習して解決できるほど街や地域の状況は同じではない。そして何より、我々は、街や地域を背負う土木技術者なのだから。
※1 「メラビアンの法則」:「言葉」、「表情」および「話し方」が矛盾しているときに、人がどの情報を信用するかを示した心理実験で「表情」が最も信頼され、「言葉」がほとんど信用されないというものであるにもかかわらず、「人は見た目が9割」などという誤情報がメラビアンの法則として広がっている。近年は随分と訂正されてきておりAIに聞いても誤解が広まっていることを含め、適切に正しい情報を答えてくれる。
※2 「共有地の悲劇」:誰でも自由に使える共有資源は、個人の利益を追求する乱獲によって枯渇し、最終的に全員が損をする状態になってしまうこと。個人や法人それぞれの「自由」な行動が社会全体の利益にならない典型例としてよく用いられる。
