建設物価調査会

建設物価2016年3月号

いつの時代も新しい技術で、国土と交通を支える事務所新潟国道事務所 にいこくDNAとしての萬代橋(計画課 企画係)

はじめに

新潟国道事務所は、地域から「新国 にいこく」と呼ばれています。

いつの時代も「新」しい技術で、「国」土と交通を支える事務所

上の囲みは、当事務所を紹介するときに用いているキャッチフレーズです。新国では、自動車専用タイプの一般道である新潟バイパスや、高速道路の利用料金社会実験、 ITSの普及など、日本を先駆けて様々な取り組みを行ってきました。今回は、新国のDNAの根幹として、国の重要文化財「萬代橋」について紹介します。

【写真1】三代目萬代橋
【写真1】三代目萬代橋

萬代橋のあゆみ

名橋「萬代橋」をご存知でしょうか。新潟市の信濃川河口にかかる築86年の長寿橋です(写真1)。新潟市中心部と新潟駅を結ぶこの橋は、現在で三代目となり、長い歴史のなかで新潟の発展を支え、まちのシンボルとして市民の皆様に愛されてきました。

初代の萬代橋は明治19年に完成した橋で、民間資本による有料道路事業でした。当時は、木橋としては日本一の長さ782mを誇っていました(図1)。

現在の新潟は、信濃

川の両岸に位置する2つの湊町 —長岡藩の湊「新潟」・新発田藩の湊「沼垂(」ぬったり)—を中心に発展してきました。江戸時代に湊の利益等を巡り何度も争ってきた2つの湊は、明治時代になっても対立意識が根強く残っていたといいます。

そんな中、信濃川河口部で唯一の橋であった萬代橋の便益は抜群で、長年仲の悪かった新潟市と沼垂町を結びつけ、双方の発展に尽くしたことは言うまでもありません(図2)。

【写真1】三代目萬代橋
【写真1】三代目萬代橋
【図2】1914年地図(国土地理院地図より作成)
【図2】1914年地図(国土地理院地図より作成)

その後、採算割れや老朽化などから県が買い取り無料化され、新潟大火で焼失し、二代目に架け替えられました。二代目建設当初は、交通の中心は、歩行者や人力車、牛、馬車などでしたが、大正末期にもなると、多くの自動車・バスが通るようになります。自動車通行の負荷は大きく、木造の萬代橋は「ばったん橋」と呼ばれるほど破損が増え、架け替えが検討されます。その中で頑丈さが求められ、永久橋として鉄筋コンクリート製6連アーチ橋に架け替えられます。これが今なお現役の三代目萬代橋です。

大河津分水の完成により信濃川本川の川幅が1/3になっていたこともあり、昭和4年にはコンクリート製の永久橋が完成しました。設計は田中豊と福田武雄で、関東大震災を経験した内務省復興局の若き技術者です。隅田川の復興架橋で培った先端技術が新潟でも生かされていたのです。

県は工事を競争入札にかけましたが不調となってしまい、同じく復興局から正子重三を現場事務所長として招き、直営工事での施工となりました。隅田川で米国から学んだニューマチックケーソン工法を用い、国産1号として日本人技術者だけで完成させました(写真2、図3)。

【写真2】現在の川幅と1889年の川幅(推定)【図3】三代目萬代橋の設計図

当初、三代目萬代橋の表面はコンクリートの予定でした。しかし、コスト縮減により御影石の化粧張りを施すことができ、今の姿となっています。ケーソン掘削の砂が良質な細骨材としてコンクリートに利用できたことにより、茨城から御影石を持ってくることができたのです。建設当時の県財政は極度に逼迫しており、「縮減できたコストがどう使われるのか」をマスコミが大きく取上るほどでした。県は、のどから手が出るほど欲しかったはずの巨費を敢えて景観に投資したのです。後世新潟のシンボルとして意義ある橋になるよう英断を下したのでした。

土木構造物が持つ機能美に加えて本物の材料による意匠は、時代を経ても全く
色あせることなく、むしろ重厚さを増しまちの顔ともなっています。新潟国道事務所では、「東日本大震災復興やストック効果が叫ばれている今こそこの萬代橋を見習うべき」、とこの精神を胸に日々業務に勤しんでいます。

萬代橋が名橋といわれる所以は、その「用・強・美」です。現在でも一日約3万台の自動車交通と約1万人の自転車歩行者交通を支えています。また、昭和39年の新潟地震では落橋せず、市内唯一の橋として救援・復旧活動を担い、その強さが証明されました。これは耐震設計が確立していない時代に、関東大震災の経験からアーチ橋を採用した賜物でしょう。さらに、昭和60年には初代から数えて100周年を契機に、美しい橋をライトアップする資金として市民募金が行われました(図4)。

【図4】復元された照明灯・橋側灯
【図4】復元された照明灯・橋側灯

平成14年には萬代橋をお手本に、兄弟橋ともいえる柳都大橋がその下流に架けられました(写真3)。

【写真3】柳都大橋
【写真3】柳都大橋

萬代橋精神が語り継がれ、柳都新潟の社会経済活動を支える「現役の文化財」であり続けることを願います。

おわりに

現在、新潟ではBRT(バス高速輸送システム)が注目されています。これも路線の愛称は萬代橋ラインと言われています。中心市街地を自動車中心から人中心の賑わいの場として再生するためには、新たなバスシステムとともに、新国で担当している柳都大橋、それにつづく万代島ルート(前述の栗ノ木道路もこの一部です)の道路整備が欠かせません。

最後に、86年前、正子重三が、三代目萬代橋竣工時に社会資本のストック効果とメンテナンスの重要性について語っていました。その言葉を紹介して締めさせていただきます(図5)。

【図5】正子重三の言葉
【図5】正子重三の言葉
【写真4】市民に愛される萬代橋(チューリップフェスティバル)
【写真4】市民に愛される萬代橋(チューリップフェスティバル)
【写真5】市民に愛される萬代橋(新潟まつり代民謡流し)
【写真5】市民に愛される萬代橋(新潟まつり代民謡流し)